供養と言うこと

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供養と言うこと

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2017/06/27 供養と言うこと

みなさん、供養とは何かお分かりでしょうか。私も正直なところ、理解しきれていない部分もあります。

 

ただ、一般的に供養というと、あの世に旅立った故人(自分の両親など近しい親族)の「霊」を慰め、また、追善供養という言葉がありますように、あの世に向かう故人に対して、この世から応援をする、お浄土にいけるよう頑張れよ、と励ます。そんなイメージかもしれません。

 

そういう意味での供養を、真宗では、実はいたしません。水子供養だとかペット供養、永代供養などは、真宗の厳密な教えからすればする必要のないものということになります。それぞれの供養に対する私の考えはまた別の機会に書きたいと思いますが、真宗における供養というのは、阿弥陀様をはじめとするいわゆる仏様に対して、感謝の気持ちを表すものだからです。

 

とはいえ、一般的な供養を全面的に否定するのもどうかとは思います。多くの方が、先祖供養をきっかけに、仏教や寺とのご縁を結んでくださいます。すなわち、仏教に関心を持つ入り口として、供養(のための法要)がある。また、故人も仏様の光の一部となって、この世の私たちを救う手助けをなさるとすれば、故人も仏様なのです。

 

私は、葬儀の際の短い法話などの際に、「このような法要は故人に対する(追善)供養の意味だとお思いでしょうが、もちろんそういう面もありながら、自らの身をもってこの世での生き様を示しつつ、お浄土への道をお示しになった故人と、故人を導いてくださる阿弥陀様への感謝の意味もあるのです」といった内容に触れるようにしています。

 

故人を供養したから終わり(3回忌法要で終わりという方は少なくありませんが、49日の法要で終わりという方も稀におられます)ではなく、阿弥陀様や故人に対する深い感謝は、いつまでも続くものではないでしょうか。そのことに気づかせていただくのが、供養(法要)の意味だろうと思います。

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