仏教と金儲け

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仏教と金儲け

ブログ

2017/07/02 仏教と金儲け

先日、下記のようなブログに出会いました。

仏教で食うなら、坊主なんてやめちまえという意見の問題点

 

その中で、こんな一節がありました。

「問題はお布施の額が足りないから突き返されたとか、お墓を都心部に移そうとしたら高額の離檀料を請求されたとか、そうした一部の事例がメディアで面白おかしく取り上げられ過ぎて、それがすべてのように扱われていることです。」

 

結局、マスコミ(マスメディア)も・読者・視聴者の受けを考えますから、必ずしも一面を捉えていません。本当は、一面だけ捉えずにやってほしいし、私は個人的にはそのように生きてきたしブログやSNSに書く際は「こういう場合もあるしそうではない場合もある」、と書くように努めているつもりです。ただ、それだと受けません。かくして、私のブログ等は、あまりお読みいただけてない(もしくは共感いただけていない)のかも、しれません。

 

私は、非営利の事業をしようと思えば、それを充分にするだけの収入が必要だと考えています。例えば弁護士でも、金儲けにならない仕事(刑事弁護や人助けのためにする行為)を心置きなくするために、それ以外の、儲かる仕事もしなければならないと言います。資本主義の世の中ですし、大体において、資本主義が蔓延していなかった仏教興隆期から中世にかけても、国や特権階級の庇護があったからこそ、僧侶は自由に活動できたのです。

 

もちろん、「乞食坊主」と言う言葉もあるように、そういった庇護に与らなくても、自分で好きに僧侶をしている、金などいらない、と言う人もいたかもしれません。

 

このことに関連して、まだ大学生の頃、先輩僧侶と青臭い言い争いをしたことがあります。曰く、

(私)「僧侶だからといって、食っていかなければ充分な活動はできないじゃないですか、そのために、兼業することは必ずしも悪いことではないと思います。」

(先輩)「そんな中途半端なことでいいのか、仏教を広めたいという気持ちがあるなら生半可な気持ちでは無理だ、たとえ食うに困る状況にあっても、高楊枝で仏教の道に専念すべきではないのか。」

 

今でも、どちらの意見も正しいとは思いますが、食うや食わずの生活で人に仏教を語れるのか、誰もそんな人間に耳を貸さないのではないか、とも感じますし、先のブログ記事の中にあるように、

 

「人生を仏教にフルコミットして生きたいのであれば、兼業だと時間が限られてしまいます。他の職業が本人の仏道に良い形で作用している方もたくさんいますが、冒頭で紹介した記事のような「その日に食っていくだけで手いっぱい」では、お坊さんとして持てる時間はほんのわずかでしょう。」

 

と言う面もあります。

 

この議論は、尽きないことかもしれませんし、ただ金儲けに走って仏教の道を極める時間がおろそかになるのであれば、やはり間違いですが、仏教からにせよ別の形にせよ収入を得て、その収入で自分がこの世に大切なことだと思っている仏教を広める活動をする。それの何が悪いのかと、私は思っています。そういう意味で、先のブログ記事には、賛同する次第です。

 

補足ですが(蛇足かもしれませんが)、金儲けは悪いことでしょうか。金儲け自体が悪いことではない。そうでなければ、資本主義社会で生きている人はすべて悪いことをしていることになります。要は金の使い方次第ではないか。そういう気がします。「悪銭身につかず」と申しますが、正しく儲けた金を正しく使うことは、この世では当然のことでしょう。大富豪は(税制上の優遇があるからだとも言いますが)慈善活動に多額の寄付をしていたりもします。

 

仏教を広めることに純粋に頑張っている僧侶も多数です。仏教に関心のある方は、書籍やネットによる情報もありますが、仏教で食いながら仏教に情熱のある僧侶と接してみるのも、有意義だと思います。僧侶の私が言うとやらしいですが、このブログ記事の方がそういった趣旨で書いてくださったのには、感謝いたします。

 

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