善悪-性犯罪、セクハラとの関連で

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善悪-性犯罪、セクハラとの関連で

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2018/05/06 善悪-性犯罪、セクハラとの関連で

相変わらず長い文章ですが、ご容赦のほど。TOKIOの事件、悲しくもあり、情けなくもありますが、それに関連して思ったことを字数を気にせず述べたいと思います。

 

アラフィフの私、ジャニーズ関係の芸能人は、例えば少年隊とかシブがき隊は同年代ですし、郷ひろみ、西城秀樹、野口五郎は子供の頃から活躍してました。

 

時を経て、今、好きなグループはと尋ねられれば、迷うことなく、TOKIOと答えてました。

 

ところが、メンバーの1人が、あろうことか、酒に溺れて、酒のせいにしながら、未成年にキスを迫った。いや、詳しいことはわかりませんが、何にせよ強制わいせつを企てたと。被害届は取り下げられ、起訴猶予で、刑罰を食らうことはなさそうですが。このことに関しては、別に書いた文章もご参照ください。

 

バカですよね。本当に馬鹿。自分の立場をどうわきまえていたのか。

 

先にもお示しした別の文章でも書きましたように、どこまでいっても、女子高生に非はないと思います(非はなくてもこんな結果をもたらすのだから、気をつけろというのはもちろん同意しますが(※下記に補足))。

 

昨今、エリートとされる公務員のスキャンダルが世間を騒がせています。今回のアイドルの件もそうですが、やっていけないことは間違いない。

 

ただ、草食系の男性も増えたとはいえ、基本的には、男は狼なのです。その狼が、見せてはいけない牙を、女子高生に向けてしまった。公務員のケースで言えば、自分の立場をいいことに、単なる言葉遊び以上に下ネタをかました。下ネタは場合によっては会話の潤滑油になるけれど、使い方を間違えれば、とりわけ立場の強い者がそれをわきまえないで使うと、セクハラ・パワハラになります。

 

性の問題からは離れますが、親鸞聖人が弟子の唯円との会話の中で示されたと言われる内容に、こんな話があります(少し意訳しています)。

弟子「人を殺すこともなく、ただ純粋に悪いことをすまいと生きてきた私ですが、人を殺した悪人が極楽往生すると言われると、やはり違う気がするのです」

聖人「では、極楽往生のために、私が今から命令することをせよというと、お前は必ずするのであろうな」

弟子「はい、聖人のおっしゃることであれば、極楽往生のためであるならば、何なりといたします」

聖人「よし、いい覚悟だ。今から、道歩く人を100人殺して参れ。さすれば、そなたも極楽往生間違いなしじゃ。」

弟子「そ、そんなことはできません。」

聖人「今、そなたは私のいうことを実行すると申したではないか!」

 

犯罪は悪いことですが、それをするかどうかは、必ずしも悪人だから善人だからということで決められないのではないか。親鸞聖人はそうおっしゃってるのです。

一番わかりやすいのは、交通事故です。殺そうと思って殺したわけではなくても、自動車を運転していて歩行者を殺してしまう。こんなことは、車を運転している以上、誰でもありうることです。その人がどんなに「善人」であっても、ちょっとしたタイミングで、殺人者になるのです。

 

親鸞聖人は、善だ悪だと言うのは、人間のこの世における独善的な基準に基づくのであって、人を殺すとか殺さないとか、そんなのはあくまで人間界の判断だとされるのです。今は日本では殺人を生業とする職業は原則としてないことになっていますが、武士は人を殺してもいい職業です。

また、殺人ではないものの、漁師や狩人、屠畜業は動物を殺します。だけど、いないと私たちは動物を食すことができなくなるので、困ります。

 

人殺しが悪いことであるのは、誰もが納得することですが、他の命からエネルギーを得るしか方法のない私たちが、漁師等を批判できるでしょうか。また、聖人と弟子の会話にあるように、悪いことであったとしても、それをできる人とできない人がいるのも事実です。殺人したら極楽往生すると言われても、できないものはできない。でも、それを生業とする人もいる。

 

性の話に戻します。性の話は、大事なことです。先取りして結論を申せば、性の話を後ろ暗い、秘め事のように考えすぎたから、こういった問題が噴出するのではないかと考えます。ただし、セクハラや強制わいせつした人を、少なくともこの世のルールにおいて擁護するつもりはありませんが。

 

いわゆる浮気。これも、できる人とできない人がいます。殺人ほどではないものの、道義的にはしてはならないとされる浮気ですが、案外できない人はできない。できる人はいともたやすくできる。

 

弁護士で国会議員だった既婚女性が、政策顧問だった弁護士の既婚男性と2人でドライブし、かつホテルの一室に2人きりで入ったことが問題視されたことがあります。そのとき、男女2人で密室で何をしているかというと、当然男女の関係(肉体関係)しかないだろうというのが大勢を占めていました。

 

おそらく、そうなんだろうと思います。しかし、そうではないケースもあります。私の周囲では、男女で旅行し、相部屋だったけれども別に恋人同士ではないし、肉体関係にも発展しなかったということを当事者から聞いたことがあります(十分信用できる話でした)。男女間に友情関係は成立するか、という深遠な問題がありますが、私はありうると思っています。実際、私にも小中時代からの女性の友達はいますし、少しばかり下心はないとは言えなくても(笑)、何ら問題を起こすことなく飲みに行ったりすることはあります。

 

先の国会議員のケースは、その人を追い落としたいという何らかの動きがあったのかもしれませんが、反面、私が思ったのは、「下衆の勘ぐり」という言葉があるように、皆、誰しも男女で2人きりならそういう関係になるのが当たり前だろうという先入観でそう思い込んでいたのではないかということです。

 

TOKIOのケース。メンバー5人の中ではあくまで相対的にですが目立たない存在だったものの、万能選手で、DASH村、DASH島、農作業も工作も、なんでもこなすすごいやつだなあと感心していたメンバーが、やってはいけない性犯罪を起こした。

 

では、彼が悪人で、私は善人か。そうは思えないのです。繰り返しになりますが、彼を擁護するのが目的ではありません。エリート公務員のセクハラを擁護するつもりもありません。この世において、やってはいけないことはやってはいけない。それは断罪すべきであり、TOKIOの他のメンバーが、長年連れ添ったメンバーとして葛藤しながらも突き放していたのは、当然だと思います。もちろんエリート公務員のセクハラを擁護する閣僚にも、まるで共感できませんでした。

 

私も、かなり性的には貪欲です。お酒を飲むと開放的になって、女性(ホステス)のいる(健全な)クラブでは少しハメをはずすことがないとは言いません。とはいえ、やってはいけないこと、相手が嫌がることをしたことは、ありません。相手のいることですので、全くないとは断言できませんが、少なくとも、私を警戒したり避けるようになったホステスさんはいないです。ちなみに、いわゆる性風俗のお店には、行きません。行きたくもありません。

 

昔々その昔、イエスキリストが、娼婦(「罪深い女」とも)に石を投げている民衆に、あなたたちのうち罪を犯したことのない者のみ、石を投げなさいと言ったとされる逸話があります(石を投げる資格のある者はいないだろう、という逆説的な問いかけです)。

深酒をして女子高生にキスを迫る状況を肯定はできませんが、否定もできない。彼は離婚し、子供とも離れ離れ。それがアルコール依存のきっかけになったのではなく、アルコール依存だったから離婚したのかもしれませんが、少なくとも、寂しさを紛らすために酒に溺れたのかもしれない。

 

酒飲みの私としては、酒のせいにはして欲しくなかったですが、もともと性的に貪欲な性格が、酒によって白日の下に晒された。性的欲求不満に取り憑かれたときに、性を生業とする人のところに行かずに、なぜ番組で知り合った女子高生を呼び出したのかはよくわかりませんが、性犯罪は見ず知らずの第三者よりも、家族や親戚、知り合いによるものが多いと言います。自分の優位な立場を利用して、女子高生を呼び出したのだとすれば、エリート公務員のセクハラと変わらず、ますます精悍でナイスガイなテレビの中の彼とはかけ離れた一面が、残念ながらクローズアップされます。

 

さて、話が長くなりましたが、私が言いたいのはこの一点に尽きます。性的におおらかであることは実は大事なのではないか。性と生は「心」が付いているかいないかの差。生きることは性に直結するのに、後ろめたいものとするから、かえって性犯罪、セクハラが蔓延するのではないか。性をおおらかに捉えれば、例えば浮気は悪いことだけど、結局は当事者の問題であって、夫婦で「私はそういうことは好きじゃないから、外でしてきて」という合意があるのであれば、他人がとやかくいうこともない。浮気はしてはいけないと決めつけるのは、話が違うのではないか。

 

もちろん、もっと本質的なことを言えば、相手を本当の意味で思いやることができれば、性犯罪もセクハラもあり得ません。本気で口説いて相手が納得すれば、道義的なことは別にして未成年であっても恋愛です。反面、納得しなければ諦めるのが大人。

 

夫婦間でも、嫌がる相手に強いれば強姦罪(現在の正式名称は「強制性交等罪」)が成立することもあります。反面、夫婦であればしたいという相手の気持ちに従う義務があるという面もある。離婚原因の一つである「性格の不一致」は「性の不一致」の意味だとも言いますが、性交渉のあり方も含めて男女の間で、どうコミュニケーションを図るか。そこにかかっているのではないでしょうか。

 

TOKIOの彼には失望しました。酒のせいにしたこと。女子高生の気持ちを考えなかったこと。

 

でも、私も「たまたま」芸能人ではなく、「たまたま」女子高生にキスを迫る状況にならなかっただけであって、なんらかのタイミングでそうならなかったともかぎらない。善悪を、表面的ではなく、心の内面までもし捉えるとすると、誰も彼を責められないのではないでしょうか。エリート公務員も。もちろん、政治家やエリート公務員は、その立場上清廉さが求められるので、国民は自分の内面のやましさを棚に上げて批判していいと思いますが。

 

内面で他人を殺したいと思ったり、あの女性のお尻を触りたいと思ったり。些細なことから重大なことまで、内面ではいろんな「犯罪」を思い描いていることは、多くの人にあるのではないでしょうか。それを実行するかしないかは、もしかすると紙一重かもしれないのです。する人はいともたやすく実行するし、できない人は全くできない。

 

最後までお読みいただき、ありがとうございます。性が大らかに語られ、これが男女のコミュニケーションの一つとして重要な意味を担っていることが理解される世の中になると嬉しいです(江戸時代までは、日本も恐らくそうだったと思われます)。正常でない形で噴出したのがセクハラ、強制わいせつ。とても残念です。

 

(※)たとえ自分に非がなくても、交通事故で怪我をして痛い目にあうのは、自動車ではなくて自転車や歩行者側です。自動車>バイク>自転車>歩行者ですから、弱者は強者の動きに注意すべきです。今回の女子高生も、NHKの番組で知り合ったというのですから、共演者から来いと言われて行かないわけにはいかないし、TOKIOのメンバーだということで何らかの思惑があったとしても、行ったことを非難できないというのが、私の偽らざる意見。ただ、やはり、大の大人の家に友達と2人であったとしても行くべきではなかったです。それは間違いないので、女子高生を非難する方にも一理ありますが、それをもってハニートラップだとかなんとかいうのは、間違ってるのではないでしょうか。

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