人の価値は誰にも決められない

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人の価値は誰にも決められない

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2018/06/22 人の価値は誰にも決められない

<やまゆり園>中3が作文に 人の価値、誰にも決められない

と題した記事を目にして、中学生でそのことに気づいていることに驚きました。

 

仏教では、阿弥陀様の前では全てが平等であると説きます。

 

現世においても、憲法に、万人は、法の下に全て平等であると定めています。

 

しかしながら、人は人を差別し、蔑み、生きています。

 

心のバランスを保つために、そうせざるを得ない面もあり、一概に批判できませんが、それでもなお、庶民と、富と名声を得た人と、ホームレスと、障碍(がい)者と、健常者と、何が違うのか。究極まで分解すれば、どの人間も同じ炭素と水素の寄り集まりでしかない。たまたま、金持ちだっただけであり、健常者であったにすぎません。そのことに感謝しこそすれ、庶民を馬鹿にしたり、障碍者を差別するのは話が違う。

 

「みんなに価値がある。人の価値を決められる人は誰もいない。だから僕は、相手の価値を勝手に決めず、相手の価値を互いに尊重しあえる社会であってほしいと思う。」

 

先の中学生の作文の一節ですが、多いに賛同します。感動しました。

 

蛇足ではありますが、人間、たまたま今の立場にあるだけであって、それは演劇の役と同じではないかと思えます。運命論ではなく、ある程度努力や才能でより良い役に就くことができるとしても、たまたま今の役を与えられたに過ぎず、何かの加減でホームレス役や障碍者役を演じることになったかもしれない。

 

主役が必ずしも幸せなわけではありません。悲劇のこともあります。何がいいとか悪いとか、人間はいろいろ善悪、良し悪しを決めたがりますが、少なくとも他人が、誰かの善悪を決めることはできない。

 

人生においては、言い古されたことではありますが、自分が主役です。悲劇にするか、喜劇にするか、ハッピーエンドにするか。自分がどんな立場であっても、それを懸命に生きるのみ。

 

最近流行りの言葉で言えば、成功よりも幸福を。それに尽きますし、自分の幸福を他人からとやかく言われたくはないし、他人の幸福や価値観をとやかく言うものではない。そういうことではないでしょうか。

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