寺の評価

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寺の評価

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2018/06/30 寺の評価

私が私淑する、有名なお寺の住職が、

 

お寺の世界に「評価」は馴染まない、という。諸手を挙げて賛成するつもりはないが、現代においてまっとうな評価なしに、社会組織が持続するのだろうか。

 

で始まる一文を書いておられました。有名なお寺ですから、私のような弱小零細寺院の住職のことを念頭に置いておられるとは思えず、私への反論とは思えません。ただ、私も以前、

 

この世の中は、競争社会です。資本主義社会においてはそれが基本でしょう。ただ、仏教界は資本主義社会ではないし、むしろ一般社会と異なる価値観を与えるべきところです。にもかかわらず、競争社会を象徴するような、「勝ち組」を登録する、少なくとも事情に詳しくない一般の方々にはそう思えるであろうシステムが出来上がりつつあります。」

 

という一文から始まる文章をフェイスブックに投稿したことがあり、もしかしたらとも思いましたので、「寺の評価」について、弁解も含めて私見を書いておきたいと思います。

 

まず、私も寺の評価が必要ないとは思っていません。むしろ必要です。これだけ多くの寺があり、どの寺が良いのか、判断のしようがない。では誰かが評価をして、優劣をつければいいではないか。

 

私は大学の教員もしておりますので、寺もそうですが、大学のような非営利法人が評価されるのは致し方ないと思っています。ただ、問題はどのような評価基準を持つのか、ということです。本来、大学のような教育機関も、寺も、競争社会ではないのだから、優劣つけるべきではない。そう思う反面で、多くの中で、どの大学が、どの寺がちゃんとやってるのか。判断する必要はあるのだろうと。

 

とりわけ、「評価」は単なる人気投票的に、ネームバリューで決まってしまう恐れがあり、それが評価の難しさです。中身が自分に合わなくても、名前だけで学校を選んでいる受験生は少なくありません。そうではない、真の「評価」基準とは何か。それが難しい。

 

繰り返しになりますが、どのような評価基準で優劣を決めるのかが大事だと思います。その有名なお寺がどんな形であれ評価されるのは当然のことだと思いますし、私は、その評価が間違っているとは思いません。私は、だからこそ、そのお寺を尊敬し、住職を尊敬し、他宗ではありますが、機会があるごとにそのお寺の行事に足を運んでいます。ですので、もし仮に私の「評価批判」を、その住職が苦々しく思っておられるのであれば、そこは誤解を解いておきたいところです。

 

どんな評価でも、真っ当な評価基準を持っておられるのであれば全然問題ありません。ただどうしてもそこに主観が入ります。どのような評価がなされるのか。私が掲載を拒否された当該サイトの運営者の方が、現政権のいうトリクルダウン(金持ちが儲ければ、そのおこぼれがやがて庶民に降り注ぐ)と同じようなことをおっしゃっているのを耳にして、正直耳を疑いました。早い話、勝ち組がさらに勝つことで、その他のお寺にもおこぼれが降り注ぐ、と。でもね、そんなことはなかなか起こりません。事実、「負け組」の私のところは、潤っておりません(苦笑)

 

金持ちのおこぼれが庶民に降り注ぐと言うけれど、ある事業に成功して大儲けした人が、同業者におこぼれを与えるでしょうか。もちろん、そういうこともあるだろうけれど、普通はいいものを食べ、いいものを買い、たまには慈善事業に寄付することで、庶民にお金が流れます。だけれど、同業者にお金を使うのは、例えば吸収合併とか提携とか、そういう形で、より自分の立場を強固にするためではないでしょうか。

 

人間の欲望は果てしなく、儲けたら儲けただけ、余計に多く儲けたくなるものです。少欲知足は仏教の基本ですが、それは、人間の煩悩が果てしないからこそ、それへのアンチテーゼとして「欲を少なくして、足るを知る」という考えが生まれるのです。何事も、極端が一番いけません。

 

いくら僧侶が、お寺が、少欲知足を実践しているはずだとしても、勝ち組のお寺が、それ以外のお寺に何かおこぼれをというのは、勝ち組のお寺が人手が足りないくらい法要の依頼が来て、それを他のお寺に下請けに出すようなことくらいでしょう。でもそれは、役僧を雇うなどして、その勝ち組のお寺がさらに儲けるだけで、よほどのことがない限り、負け組のお寺には回って来ません。お寺も、そこまでお人好しではないでしょう。お人好しであってほしいとは思いますが、反面、「施しは要らねえ」という反骨心も芽生えます。

 

私は、思い切って、宗派が、その末寺の評価をすればいいのではないかと思っています。そんなことできないとは思いますが、評価の理想論を述べますと、本来なら、例えば浄土真宗の教えを守り、浄土真宗の理想を実践しているお寺であるか否かを、統括寺院である本山が評価してもいいのではないかと思います。普通は、そこまでせず、僧侶の研修・研鑽等の機会を設けるくらいのことでしょう。

 

一つの宗派にこだわらず、多くの宗派の寺院の「勝ち組」を集めたサイトは、おそらく人気が出ていることだろうと思います。一生懸命運営されているのでしょうし、そのサイトの評価基準で評価されているのですから、それも一つの価値観です。にも関わらず上にリンクした文章で強く批判したので、お気を悪くされているなら申し訳ないです。

 

ちなみに、大学の評価基準は、公表されています。大学基準協会のサイトをご覧ください。複雑でわかりにくいですが、点検項目だけ示しますと、①大学の理念・目的、②内部質保証、③教育研究組織、④教育課程・学習成果、⑤学生の受け入れ、⑥教員・教員組織、⑦学生支援、⑧教育研究等環境、⑨社会連携・社会貢献、⑩大学運営・財務、の10項目です。同じ非営利法人ですので、お寺にも活用できそうですが、現実には、各宗派の本山クラスでないと、この評価に耐えうる資料を収集・作成するのは難しいかもしれません。

 

大学の評価基準も、その理念・目的を示し、それを実現するシステムを構築し、実際に成果を挙げているか、ということですが、これはお寺もそうですよね。各派各寺院の理念・目的があり、その実現のためにどういった制度を構築するのか。ですので、各派各寺院がそれぞれ評価されるべきで、それを統一的に同じ基準でしかもわかりやすくとなると、⑩の(寺院)運営・財務くらいしかないのではないかとも思えます。

 

長くなってきましたが、一般論として、寺院の評価が悪いといっているわけではありません。ただ、評価の基準はいろいろであって、評価者の主観も入るし、これが完璧な評価システムであるとは言えないということです。大学基準協会の基準も、大きな変更はないとは言え、毎年マイナーチェンジしています。時代の変化もあるでしょうし。

 

寺院を集めたサイトをご覧になっても、それが素晴らしい寺院の全てだと思われませんように。幸せの青い鳥ではないけれど、遠くにありそうで案外身近にいいお寺はあると思います。そのサイトの寺院も素晴らしいけれども、他にも素晴らしい寺院はあります。

 

当寺も、私にとっては自慢のお寺です。

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