「生産性」

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「生産性」

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2018/08/03 「生産性」

今、与党に属するある国会議員の寄稿文が大問題になっています。それを擁護する方々は、批判する方々を、読み違いだ、ミスリーディングだと反論していますが、かなり苦しい。

余談ですが、若い学生の中には、自分が書いた文章や、教員が発した言葉を、自分の都合がいいように理解する者がいますが、ミスリーディングはむしろ当該議員を擁護される方々にあると思います。

 

政治的な批評はしないことにしておきますが、子供を産む産まないということと生産性とは関係があるのか、ちょっと考えてみたいと思い、ここで拙文を書いた次第です。

 

結論めいたことを言えば、生産性とは、人間が子供を産む産まないとは関係なさそうです。商品を作ったり、百歩譲って家畜が子を産むのは、生産性の問題かもしれませんが。

 

人が人を産むのは、生産ではなく出産だと、まずしっかり日本語を理解することから始めるべきだという批判も目にしたことがあります。真っ当な意見ではないでしょうか。

 

家畜も動物、人間も動物ですから、分けられないかもしれませんが、人間は人間。さしあたり、区別はしてよいでしょう。

 

 件(くだん)の某議員の見解からすれば、子供が仮に成長して泥棒や殺人犯になったとすれば、それは生産性があったと言えるのでしょうか。

 

働けない障碍を持つ子供を産んだら、それは「生産性」はあるけれど、生産性がないことになるのでしょうか。

 

この世に生まれ来た子が仮に障碍を持っていても、なんて可愛いんだと、親がその子のために頑張ろうと思えるなら、親の生産性は向上したかもしれません。

 

反対にいわゆる健常者が生まれ来ても、まるで子供を可愛がる気のない親、ひどい場合には虐待する親の手にかかって死に至れば、それは生産性がないと評価できるかもしれません。

 

生涯独身であるとか、子供はほしくないという人でも、社会の様々な分野で活躍しています。それはまさしく「生産性」はなくても生産性はあるわけです。

 

どう考えても、子を産む産まないは、生産性とは直接の関係はありません。関係はあるかもしれないが、ないかもしれないとしか言いようがない。

 

この世に生まれ来たことは、奇跡でもあり、幸福でもあり、一方で苦痛でもあります。生まれ来ることがなければ、美味しいものを食べたり綺麗なものを見たりできない代わりに、腰痛にも悩まなくていいし、人間関係に悩む必要もない。

 

子を産む産まないを生産性と結びつけるのは、生きることの意味を全く理解していないと言い切ってもいいと感じました。

 

人はただ人であるだけで尊い。動物が尊くないと言ってるわけではありませんよ。人間社会において、子供を産む人も産まない人も、それだけでいい。天上天下唯我独尊はお釈迦様の言葉とされますが、あるがままに一人一人が尊いのであるという意味です。

 

「生産性」のある無しで、人間の価値は変わりません。有名企業の創業者のように生産性が高ければ社会的価値、名声は高まるでしょうが、個人の尊厳とは関係がない。当然のことながら、子供を産む産まないで人間の価値は変わらないのです。

 

以上、私は生産性という言葉にカギカッコを付けたり付けなかったりしましたが、趣旨はご理解いただけたでしょうか。蛇足ながら、同性のカップルに「生産性」がないと、誰が言い切れるのか。出産はできなくても、愛する人と家族になれることで生産性は高まるかもしれない。身寄りのない子を養子に迎えることで、生産性は高まるかもしれない。で、このように言うと、某議員を擁護する方の中には、そうなんです、某議員は生産性にカギカッコを付けて、寄稿文においては出産の意味に限定したのです、問題ないじゃないですか、と。

いや、生産性は、どこまでいっても、出産とは異なります。限定してはいけないし、出産の意味に限定していたとしても、出産できないから保障の対象にはならない、という話でもない。そう考える人がこの世にいることは否定し得ないけれど、政治家にそんな人がいるのは、日本国として、不幸以外の何物でもないのではないでしょうか。法の下の平等、必要最低限の生活の保障(憲法14条・25条)。私は護憲派でも改憲派でもありませんが(護憲派に近いかもしれませんが、基本的には中立の立場です)、政治家は憲法を尊重する義務を負っていることを絶対に忘れるべきではないのです。改憲も、憲法の趣旨を捻じ曲げてはいけないのです。

 

日本国憲法

14条① すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。(2・3項省略)

 

25条① すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。

② 国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。

 

99条 天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。

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