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2018/11/18 直葬

最近、初めて、直葬を執り行いました。当寺先代が仲良くさせていただいていたご門徒さんでした。

直葬は、ただ1回、斎場の釜前でお経を上げて終わり、です。もちろん、故人の考えなど、そのお家お家の事情がありますから、直葬を一概に否定するつもりはありません。

 

以下、あくまで一般論として、私見を述べさせてください。

 

亡くなって全てが終わるわけではなく、様々な人間関係とか、故人とその知人との関係をうまく精算させたり、また故人を通じて、新たな人間関係が生じたり。死もまた、1つの自然の営みであって、そのことに伴って、いろんな状況の変化が生じます。

そのきっかけが、通夜・葬儀であり、亡くなった日(枕経など)、その次の日(通夜)、さらにその次の日(葬儀)、一般的には3日間かけて、営まれます。

 

結局、それくらいの期間をかけなければ、故人との人間関係をうまく精算するのは難しいのではないか。そんな気がしています。

 

今回、私は初めての経験でしたので、うまく直葬の儀式を執り行えたか、心もとないですが、通常、斎場でのお勤めは略式で、参列者が焼香するその時間に合わせて、短く行うものです(斎場の都合もありますので、大抵5分ほどです)。でも、今回は、短めの表白(葬儀では、通常述べる、これはこういった故人の葬式ですよという文)を述べ、和讃(親鸞聖人によるお経を説明する短歌)も上げました(これらは、通夜・葬儀では上げますが、斎場では一般的には上げません)。故人への思いを、単なる僧侶という立場以上に、先代も含め長年お世話になったご門徒さんでもあり、少しでも表したかったからです。

 

人が亡くなってから続く一連の法要には、故人との別れを惜しむ意味があり、簡略化するにしても、限度があるのではないでしょうか。葬儀の後、斎場、お骨上げ、そして同日に初七日法要をするのは一般化しましたが、なかなか親戚が集まれないから葬儀と合わせてというのはよくわかります。でも、流石に直葬はお別れの儀式としては短いと感じます。

 

もっとも、参列者は、お骨上げまでの間のインターバルを経て、ある程度の時間はあるわけですから、故人との別れを惜しむ時間はあるかもしれません。ただ、斎場の釜の性能が上がったために、お骨上げまでの時間が短縮されました。やはり、3日間くらいは、ほしいなあというのが、私の偽らざる意見です。

 

葬儀で全てが終わるわけではありませんから、親戚・知人を呼んで四十九日法要をしたい、1周忌法要をしたい、ということであればそれはそれでありだと思います。直葬だから、四十九日はしてはいけないという話でもありません。人間、考えが変わらないわけでもないでしょうし、簡素に直葬がいいと思ったけど、やっぱり盛大に四十九日はやろうかなと思い直すこともあるでしょう。

 

仏教は、その辺は柔軟だと思います。極楽往生というのも、真宗では即往生(死してすぐにお浄土に)ですが、そうでない考え方においても、四十九日という考え方は七日ごとに審判を受け、お浄土に行くか地獄に行くかを決める。さらには、百箇日という「追試」もある。閻魔大王は本来初七日の審判だったが、人間に甘くてすぐにお浄土行きにするので、五七日に配置換えされたとも言います。さはさりながら、閻魔様はなるべくお浄土に送ろうとするとか、追試があるなど、なるべくお浄土へという意思が、真宗以外でも、仏教の考えにはあるわけです。

 

いずれにせよ、あの世でのことはこの世の者にはわかりません。わからないので、考えても仕方ない。極楽往生しているか地獄に行ってるのか、全くわかりません。そこですべきことは、ただ故人への感謝の気持ちを「この世で」表すこと。感謝とともに、後腐れないお別れをすること。それに尽きます。死者への追善供養(この世からあの世に善行を届けて極楽往生の後押しをすること)なんて、生きている者にはしようがないのです。

 

直葬も否定はしませんし、故人の考えを尊重した結果なら、それでよし。でもね、感謝と別れの儀式としては、できるなら、通夜・葬儀は必要かなと、葬儀式を司る者としては、思います。そして、その後の法要も、少しずつ故人を思い出しては忘れていくという一連の不可欠な儀式だと思います。

 

僧侶がこういったことを書くと、「結局、布施が少なくなるから嫌なんだろ?」と思われるかもしれません。しかし、檀家さんとの長年の関係と、新たにご縁をいただく方との関係を同列には語れませんし、以前にも述べたように、布施というものはサービスの対価ではなく、布施をされる方からの気持ちでもあります。ですので、葬式だからいくら、直葬だからいくら、というものでもありません(これもいつも述べているように、僧侶は霞を食って生きていけるわけではありませんから、常識的にこれくらい以上はほしいというものはあるとしても)。

 

僧侶の立場として、布施の多寡ではなく、葬送の儀として、これくらいはしっかり時間をかけてしたいという想いがあります。繰り返しになりますが、遺族の方が、故人との関係の中で、直葬でよいというなら、こちらとしてはそれでよいと思わざるを得ません。しかし、という話です。故人を送るのは、たった1度だけです。その一度を悔いなくお送りできるかどうか。直葬でもよいのか、葬儀を行うべきか。安直に決めるべきではないと思います。

 

補足:

上記では、直葬だと、3日間かからないように読めなくもありませんので、補足いたしますと、たとえ直葬でも亡くなった日にすぐご遺体を焼き場にお連れすることはできません。以前より死の判定が正確になったとはいえ、間違いがあってはいけませんので。お通夜などは、まさに間違いなく亡くなったか否か、確認する意味もありました。

墓地、埋葬等に関する法律では、原則として死後24時間経過することを火葬等の最低限の条件としています。斎場の操業時間内に空きがなければそれ以上かかります。その間、ご遺体の枕元でお別れの時間をしっかり持つことができたという場合もあるでしょう。

 

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