共感力

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共感力

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2020/08/22 共感力

最近、つとに感じるのが、他人への共感が少ない方が多いのではないかということです。個人主義は大事ですが、あまりにも個人に分離されすぎて、他人とのつながりがなおざりにされていると申しましょうか。

 

大蓮寺住職の秋田光彦師が、Facebookに次のような一文を載せておられました(Facebookの個人タイムラインへの投稿ですので、タイトルはなく、私が勝手につけたものです。ご容赦ください)。

 

「剥き出しの生」

 

共感が、悲しみを緩和してくれる。そんな経験はないでしょうか。私も凡夫、何ら悟りを得ることのない人間ですから、苦しみにさいなまれることがしばしば。そんなとき、気のおけない友人に愚痴を言って憂さ晴らし。信頼できる友ですので、そうやって話して、共感してもらって、アドバイスももらって、自分でもいろいろ考えて、苦しみを昇華させる。ちっぽけな私の苦しみ悲しみを、友人との語らいが癒してくれます。

 

秋田師は、今回のコロナによる死が、その遺族を孤立させている面を指摘されます。東日本大震災は、多くの死者を出しましたが、日本国中が悲嘆に暮れ、共感しました。ところが、コロナ禍では、遺族は葬式さえ満足に出すことができず(きちんとお別れすることもできず)、コロナによる死であることが他者から共感されない。コロナに罹っただけで批判されるような無茶な話ですから、自らの悲しみを他者と分かち合うことすらできない。

 

著名人の死が、死の恐怖を与えましたが、その結果、この世の生以外の価値を認めないような風潮にもつながっている。死を悼むのではなく、死をただ怖がり、忌むべきものと捉えてしまっている。まさに、「剥き出しの生」。死は、生と表裏一体であるにもかかわらず切り離して考えようとする。

 

葬式についても密を避けるために、家族葬どころかより小さなお葬式が一般化し、さらにはオンライン葬儀というのもあるようです。生きとし生けるものは、さらに死から遠ざけられます。寿命が長くなり、身内の死に接する機会が少なくなっている現在、それがさらに減るわけです。ご遺体を見るべきだとは言いませんが、この世を生きていた命が抜けた亡骸を見る経験は、生と死をいやが応にも感じます。その経験がさらになくなるのは、死への恐怖だけが膨らむのか、あるいは死を実感できない、変な話ゲームのように何度でも生き返るような感覚になるのかわかりませんが、少しばかり不安な気持ちにはなります。

 

人に共感する力。これが大事だとつくづく思います。コロナ死を誹謗中傷する方は、残念ながら、コロナに罹って苦しんでいる人の気持ちを理解できない方なのでしょう。自分を大事にすることはもちろん必要で、よく言われるように自分を大事にしない人が他人を大事にすることはできません。自分がコロナに罹らないように自粛自粛の生活なのに、何でコロナに感染してるんだよ!という怒りは分からなくもありません。

 

しかし、他人に共感し、他人を思いやり、他人の苦しみを分かち合うことができる人は、尊敬に値する人だと思います。

 

死を忌み嫌うのではなく、死を悼む。その気持ち、大事にしたいものです。

 

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