法要の意味<その3>:人との縁、仏との縁

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法要の意味<その3>:人との縁、仏との縁

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2020/09/22 法要の意味<その3>:人との縁、仏との縁

お経をあげたり、黒い服で同じ方向に向かって手を合わせることにどんな意味がある?と思いつつ、「法要という場に皆が集い、思い思いにさまざまな気持ちを抱くことにこそ意味があ」ると気付いたという、大学院生の投稿者。法要の意味<その1>法要の意味<その2>もご参照ください。

 

個人的な経験として、親族の死が親戚の付き合いを復活させたことがあります。人の死はそれで終わりではなくて、また別の人生に影響を与えることが、当然のことながらあるわけです。

 

連載の初回で申しましたように、故人への感謝とか、自分自身の生き様を考える機会が法要であるわけですが、その中で、仏教との出会いということもあるでしょう。日本は古来から仏教が盛んだったので、意識すると否とに関わらず仏教的な生活文化がありますが、しかし仏教とはなんぞやと言えば、多くの方がよくわからない。それを、お経や法話を通じて知る。これもまたご縁ですね。

 

春、桜の花びらが落ち、秋から冬、葉っぱが落ちる。養老孟司さんのバカの壁だったかに書いてあった話ですが、がんの患者さんがその風景を見て、あの最後の1枚の葉っぱが落ちたとき、私の寿命も尽きるのだろうか、来年また桜が咲くのを見られるだろうか、と考えるけれども、桜の花が散り葉っぱが散るのはごくありふれた風景であり、それをどう受け止めるかは、本人の状況や考え方が変わることによるもの。がんにかからなければ、桜の花や葉が散ることなど気にも留めなかったかもしれない。

 

宗教なんて、仏教なんて馬鹿馬鹿しいと思っている人にとっては、馬鹿馬鹿しいんでしょう。でも、何かのきっかけで宗教の意味に気づいたとき、宗教は意味のあるものになります。きっかけは本当に些細なことから重大なことまでいろいろでしょうけれど、今回のコロナ禍も、もしかすると宗教に目覚めた人がいるかもしれません。一方、変な宗教に引っかかってしまうこともあるので、宗教は諸刃の剣でもあります。本当の宗教に出会うために、似非宗教に騙されないために、日頃から宗教に対する知識は持っていたほうがいいように思います。

 

私は、投稿者のように若い世代の方が、とにもかくにも、嫌がらずに法要に参席するということに意味があると感じました。どう申し上げればいいのか難しいのですが、まずは、この世の人間関係を大事にする。仏教との出会いということもさることながら、人間関係の大事さです。言い方はおこがましいですが、阿弥陀如来との間に結んだ関係は私と阿弥陀様の間だけの関係です。誰のためでもなく、私のため。反面、この世にあっては様々なご縁があり、そのご縁を大切に、命を大切に、この世でできる限りの生活を送る。個人主義が強く言われる時代ですが、私たち人類は社会的生活をして今があります。人間関係を嫌がらず、大切にする。

 

それはそうなのですが、仏教(宗教)に対する意識がなくていいのか。単に、「法要というこの独特の雰囲気を生みだしていくこと自体に意味があるのではないか」、「法要という場に皆が集い、思い思いにさまざまな気持ちを抱くことにこそ意味があ」るのか。

 

結婚式が、ご先祖への報告や宗教的な儀式ではなく知友へのお披露目あるいは夫婦のケジメという意味のみになって久しいですが(形式的にはキリスト教式、神前式あるいは仏前式はありますが)、葬式や法要も、単なる亡くなったことの報告会なのか。もちろんそれでもいいと思いますが、生や死という抗(あらが)うことのできない事象への畏怖を目の前に、仏教(宗教)への気づきがあると、もう一段法要の意味は上がるのではないかと思うのです。若いうちは死などなかなかイメージできませんので、難しいとは思いますが、結婚も、なぜ出会ったのかなんて説明のできない2人が出会ったのです。職場結婚であれナンパであれ、はたまた見合いであれ、なぜそこで出会ったのか、説明のしようがありません。

 

彼岸との関係にあっては阿弥陀様に全幅の信頼を置いてお頼み申し、此岸(この世)にあっては人間のできる範囲でできることをする。親族が故人を思って集う席に座ることは、この世に生きている人間ができるごく些細なことであり、大事にしておくべきだと思います。遠藤周作の「沈黙」ではありませんけれども、この世に神も仏もあるもんか、と思う状況は、当然、あることです。天災など人間の力でどうしようもないことにあがいても仕方ない。そこは単に法要の席に座るということでは解決できないところですが、いい意味での諦念は持ちながら、被害を最小限にするための準備をするなど人間ができることは精一杯やる。親戚との関係を良好に築いていれば、何かあったときに助け合う気持ちも湧きやすい。

 

人事を尽くして天命を待つ。それしかないのです。

 

法要の意味。ご先祖も含め親族のご縁を感じる場であるとともに、さらに、あの世とのつながり、抗いようのない状況にはただ阿弥陀様に頼るしかない、そんな自分のちっぽけさを感じることも、大事ではないかと思いました。後者を仏縁と言いますが、人と人とのご縁も、仏様が介在してくださると考えれば、仏縁かもしれません。(了)

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