真宗佛光寺派難波七ヶ寺

超願寺

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真宗佛光寺派難波七ヶ寺

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2020/12/20 真宗佛光寺派難波七ヶ寺

当寺の歴史の一端を示す文書として、御勧章(歴代御門主による、末寺・門徒等へ向けた教化の手紙などの文章)に、このような文章があります。

 

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今日序としてこの地へ立ち寄りたるは、古文明の頃、頭坊主ども四十二ヶ寺、其の外諸国の門末数万一同に他参せしときにも、難波村七ヶ寺は師檀ともに不義不忠の心なく、一堂同心して当山にふみとどまり、今に至りて本山守護の志浅からざるを感じ、これまで来たりて一言の化導に及ぶ。先祖に劣らぬ堅固心に住し、一心帰命の外余念なく、決定往生の身となれ。

尚、例月御堂参詣の儀も、頃日、命じたる通り、僧俗ともに懈怠なく参堂して、いやましに法義を相続せよ。信心治定の上からは、報謝の経営肝要に思う。

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西暦1830年に、大阪御堂(現在は我孫子に移転しておりますが、船場付近にあった当派大阪別院のこと)にお越しの際に、難波7ヶ寺の年番最法寺にて、お読みになったようです。

 

歴史上のことですので、今は真宗10派、いがみ合ってはおりませんが、当時、親鸞聖人の弟子筋の当派や高田派の方が勢い盛んで、そんな中登場したのが、本願寺派中興の祖・蓮如上人です。上の文章にあるように、有力寺院四十八ヶ寺のうち四十二ヶ寺が御門主ともども蓮如上人のもとに移ってしまい(「他参せし」)、当佛光寺派は一気にその衰退をきたすことになったと言われております。

 

そんな中でも、難波村にあった(当寺を含む)七ヶ寺は、佛光寺派にとどまったことをねぎらうためにお越しになったのだろうと思います。もっとも、そんな大騒ぎがあったのは古(いにしえ)文明の頃とありますので、西暦1470年代、大阪別院にお下向の1830年からしてもかなり昔のこと。それだけ長い間、佛光寺派にとどまっていることから、これからもとどまって支えてくれよということだったのかもしれません。

 

難波7ヶ寺も、今や2ヶ寺減って5ヶ寺(光照寺、常念寺、最法寺、安養寺と、当超願寺)に。2ヶ寺は還俗(廃寺)しました。ただ、古くから佛光寺派に属した寺が難波村に多く、しかも転派せずにこれまで続いてきたことは、それはそれで尊いことだろうと思います。

 

他にも「摂州難波総坊主衆・総門徒衆」宛に書かれた御勧章もあり、歴史に想いを馳せ、しかも近しい縁者の中で時代を感じることができるのが、御勧章。つまりはお手紙です。古い手紙はなかなか置いておかないものですが、御門主からとなると、大切にしていたのでしょう。

 

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