啐啄同時-禅の言葉

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啐啄同時-禅の言葉

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2021/02/10 啐啄同時-禅の言葉

啐啄同時(そったくどうじ)という言葉をお聞きになったことはあるでしょうか。禅の言葉で、その意味するところは多様です。

 

私は僧侶であると同時に教育者でもありますので、この言葉に思うことは多々ありますが、まずはその純粋な意味から。

 

ひな鳥が卵から羽化するとき、殻をコンコンと中から突き(「啐」)、親鳥はまた外から殻をコンコンと突く(「啄」)。このタイミングがバッチリな時に、ひなは生まれ出ることができます。少しでもズレると、死んでしまうこともあるとか。

 

自然の不思議を感じさせる光景ですね。誰がどのタイミングで突けばいいのかを知らせているのか。

 

人間はつい頭でっかちでなんとか自然を征服してやろうとしますが、わからないことはまだまだ多い。宇宙のことなんて、ほとんどわかっていないでしょう。

 

自然を自然のまま受け入れることもまた必要なのではないでしょうか。ちなみに、「不思議」とは「思議しない」ということですね。考えたって始まらないと言いますか、考えても仕方ないから、「不思議」なのですね。

 

真宗の教えの中には、「自然法爾(じねんほうに)」という言葉があります。自然というのは「あるがまま」ということに他ならず、法爾というのは自然の法の中で生きる私たちが、まさにそのようになる法則のもとにあるということであり、自然法爾とは「あるがままにある」ということです。

 

人間には頭がついているのですから、しっかり考えることも必要ですが、考えずに咄嗟に動く、考えないままに自然に動く。それが筋の通った動きであるならなおさらよし。するべきときにするべきことを何も考えなくてもできるようであればいいですよね。禅でいう「啐啄同時」の例としては、前に妊婦さんが立っていたらぐずぐず考える前にすぐに席を譲るということです。

 

真宗でいう「自然法爾」は「いい行いをせよ」という道徳的な意味合いはありませんが、「あるがままにある」。何がいいか悪いか、人間には判断できないことも多々あるのがこの世界。考えすぎても考えなさすぎてもダメかもしれません。

 

そんなときは、「啐啄同時」「自然法爾」を思い出してください。

 

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