啐啄同時-禅の言葉(その2)

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啐啄同時-禅の言葉(その2)

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2021/02/12 啐啄同時-禅の言葉(その2)

前回、啐啄同時についてお話しいたしましたが、本日は教育者の立場から思うことをお話ししたいと思います。

 

ひなと親鳥のコンコンと突く啐と啄がバッチリのタイミングの時に羽化が成功する、ということから、教育面からは、弟子の必要とすることを師匠が的確なタイミングで教えることによって悟りに至るという意味が、啐啄同時という言葉には含意されます。

 

反面、当然のことながら弟子もまた師匠と呼吸を合わせる必要があります。

 

よく、恩師がいたからこそ、今の自分があるという心温まるエピソードがあります。私も何人もの恩師のおかげで、今の私があると思っております。生きる上での教えを受けたということも、また今の職についたきっかけとなったということも含めて、本当にありがたく思います。

 

やはりそこには教育者と教えを請う者の阿吽の呼吸があるのだろうと思います。宝くじにでも当たるかのように「いい先生いないかなあ」ではおそらくいい影響を与えてくれる先生には当たらないし、先生側も「優秀な生徒いないかなあ」では、おそらく教え子にいい影響を与えることはできないでしょう。

 

 教えを請う者には、真剣に学ぼうとすること。何かを求めて真摯に学校(学舎)に向かうこと。

 教育者には、真剣に自らの学問分野に向き合い、かつ学生(教えを請う者)が何を求めているのか常に考え、どのように伝えるかを常に希求すること。

 

が必要です。難しいことで、教育者の立場で「啐啄同時」を経験したことは、記憶にありません。ありませんが、これからも学生や我が子、それに仏の教えを請う方々が何を求めているのか考えながら、法律学、仏教学に勤しみたいと思います。

 

#啐啄同時

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