生への執着と寿命

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生への執着と寿命

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2021/02/28 生への執着と寿命

私も齢を重ねるうちに、若い頃とは考え方が変わった部分も、相変わらず幼い考えの部分もあります。

 

年齢を重ねることすなわち「老い」は、苦の一つに数えられます。確かに身体にもガタが来たり、「難儀やなあ」とは、ほぼ寝たきりに近い年老いた父の言。難儀なことが、多くなります。

 

しかし、老いることは成熟でもあります。子供が歳をとることを成長と言い、大人が歳をとることは老化という。でも、どちらも同じですよね、老化には違いない。でも歳をとることは、成熟でもあるのです。

 

老いることをポジティブに捉えようぜ、というサイトがありましたので、ご紹介します。

 

「加齢をネガティブに見るのヤメない?」年長組のロックな主張 7選

 

いわゆるまとめサイト的なもので、根拠のない話ではありますが、でも、子供の頃苦手だったものが美味しく思えたり、あるいはいつまでも若々しく活動していたり。若いことを善のように捉える風潮もありますが、「青二歳」でもあります。年齢を重ねるからこそ、同じことをしていてもスマートにこなせる面もある。

 

戦国時代、人生50年だったかどうかはわかりませんが、少なくとも今ほど寿命が長くはなかったでしょう。江戸時代にせよ明治時代にせよ。今は人生80年。100年は普通に生きられる時代が近いともいわれます。

 

ただ、以前から思うことですが、人生50年だった時代と、現代と、では30年分、昔よりも人生にとって何か大事なことをしているかというと、実はそうでもないような気がします。いわゆる余暇が増えただけではないか。

 

いえ、余暇が増えただけでいいじゃないかという面はありますし、何が大事か大事でないか、何が正しいか正しくないか、簡単には判断できません。

 

誰しも欲があります。その一つが「生への執着」でしょう。それがあるからこそ、寿命も年々伸びている。近年は健康寿命ということも言われていて、長生きだからといって病床に伏せるのではもったいない(病も苦の一つです)。病もまたご縁だと思うべきで、健康に執着しすぎもよくありませんけれど。

 

生への執着が、余暇が増えたことだけで満足なら、寿命がもったいない。30年プラスされた分、「ああ、もうこの世に未練はない」と思えるだけ生きる。趣味に生きても構わない。ゲーム三昧でも構わない。でも、漫然とゲームしているだけよりも、そこから何かを読み取って、人生の糧にできるかどうかで、30年プラスされたことに意味が生じるのではないでしょうか。

 

半世紀以上生きてきて、そう感じる今日この頃です。

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