昔に想いを馳せる

超願寺

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昔に想いを馳せる

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2021/04/11 昔に想いを馳せる

以前から歴史には関心があり、今は難波の住宅街にある当寺も、その創建とされる16、17世紀ごろはどんな風景だったかと想像したりしております。

 

僧侶仲間の勉強会でも、親鸞聖人が越後に流された際のルートについての議論とか、あるいは、大阪の門徒が京都の本山に上る際はどうやって行ったのかとか、そんな話が出ることがあります。

 

多忙な毎日ですのでなかなか越後のルートを辿るなどは難しいのですが、まずは京都まで徒歩で向かうとすればどのように行けばいいのかと、そこから調べてみようと思うに至りました。

 

ものの本によりますと、「上り1日、下り半日」という言葉があったようで、おそらく京都への上りは徒歩、下りは船だったのでしょう。

 

また、東海道53次の支線でもあり、伏見桃山城と大阪城を結ぶ要衝としての京街道が整備されていたこともわかりました。

 

京街道は、元々は京橋(大阪)から大津(滋賀)までを結んでいたようですが、さらに大阪側は高麗橋まで延長され、起点は高麗橋です。高麗橋は、明治時代には距離の起点にもなっていたようです。

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高麗橋からほど近い八軒家には、歴史を感じさせる階段が残されています。

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これは、もともとこの近くまで川があり、船に乗るなど、川へ降りるために作られた階段とのことでした。

 

もし京都まで歩いて行くとすれば、真宗門徒としては船場あたりを起点にしようと、北御堂を昼過ぎに出発しました(佛光寺派も昭和の初めまでは船場近くに大阪別院(平野御堂)がありました)。そして先の高麗橋から天満あたりを抜け、京街道の元の起点であった京橋口へ。

img_3297(「右大和、左京みやこ」これは少し古そうな道標)

 

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所々にこういった看板と、道標がありました。昔からあったわけではなく、新たに設置されたようではありましたが、たどって行くと京都につけるのかと思うと、興味深く。ただ、昔はそんなに道が分かれてはいなかったでしょう、現在は新たな道路等があり道標だけでは迷いそうです。

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(榎並地蔵の近くに掲げてあったマップ)

 

他にも関目神社などをめぐって、この日は太子橋今市から帰宅。次回はいつになるかわかりませんが、太子橋今市から、京都方面に向かいます。何回かに分けて京都に到着する予定ですが、最終的にはできれば1日、無理そうなら2泊くらいまでで一気に京都に向かいたいと考えています。でも、歩くにはそろそろ暑くなりそうですね。

 

ご参考までに、ネットでも見られるウォーキングマップのサイトです(2021年度版はまだのようです)。

京街道ウォーキングマップ(2020年度版)

 

#京街道#旧街道#歴史街道#ウォーキング

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