浄土真宗と真宗

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浄土真宗と真宗

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2021/08/03 浄土真宗と真宗

先日、ある方から質問をいただきました。お宅は真宗佛光寺派と名乗っておられるが浄土真宗とは違うのか、本願寺派とは別か、と。

 

いえいえ、違うと言えば違いますが同じ宗派ですよ、今は真宗教団連合として一緒に活動もしております、とお答えしました。

 

しかし、以前からそういった疑問をお持ちになる方は多いので、少しお話をさせてください。

 

まず、歴史的経緯から申しますが、異論もありますことをご理解ください。ただ、歴史は勝者に編纂の権利が与えられると言われるように、大教団となった本願寺派の教学が核となって真宗史は形成されています。今は小教団になっている当派は当派で刻まれる歴史があります。必ずしも今通説となっている歴史がそのまま本当の歴史ではないことは、最近の歴史学の動きを見てもわかるところです。

 

前置きが長くなりましたが、一般的に言われているのは、次のような流れです。わかりやすく箇条書きにします。

 

・法然上人の弟子として活動してきた親鸞聖人は、流罪が解かれた後も当初は関東を主に活動され、その時に親鸞聖人に付き従った高弟がいた。

・古くは一向宗とか念佛宗と呼ばれていた。

・親鸞聖人の高弟がそれぞれ教団の中心となり、今でいう佛光寺派や高田派の方が人気も高く教団としての勢いはあった。例えば佛光寺派は親鸞聖人を初代として2代目は真佛上人であり、7代目には中興の祖とされている人気の高かった了源上人がいた。

・親鸞聖人の血筋は蓮如上人の登場まで教団というよりも、単に聖人の墓守的な扱いだった。寺としての本願寺も他派の本山に比べると寂れていた。

・蓮如上人の登場により、そのカリスマ性は他派のリーダーをも魅了し、佛光寺教団でも当時の門主が有力寺院四十二院と門末数千ヵ寺を連れて蓮如上人に帰依した。

・佛光寺派から離脱した門主・門末は、現在の真宗興正派(本山・興正寺)となる。

・佛光寺派自体は、残った有力寺院六院と門末と、離脱した門主の弟が跡を継いで門主となり、その後代々法燈を受け継いで現在に至る。

・蓮如上人登場後の本願寺の勢いはご存知の通り。大名並みの教団になり、時の権力者と闘争も繰り返した。

・大きすぎることを警戒した徳川家の策略により、本願寺は東西に分かれる。

明治に至って「浄土真宗」を名乗るが、浄土宗との真贋論争(すなわち浄土宗からすれば私たちは真の浄土宗ではないというのかという批判)があり、「真宗」に変更した。ところが、いつの頃か本願寺派のみ「浄土真宗」に戻した。

 

おおよそですが、現在、東西本願寺はそれぞれ1万の末寺を擁する大教団で、佛光寺派や高田派、興正派はそれぞれ400前後ですので、規模の面で東西本願寺の20分の1しかなく(ちなみに本山の土地も東西本願寺がそれぞれ5万坪なのに対し、佛光寺は5千坪)、一般の方からすれば(浄土)真宗と言えばお西かお東という印象なんだろうと思います。私も、真宗のお寺だと言うと「お西ですか、お東ですか」と尋ねられますので、「真宗には10派ありまして…」と説明するのが常になっています。

 

ちなみに、親鸞聖人ご自身は宗派を興した認識はなく、あくまで法然上人の弟子であって浄土宗のことを「浄土の真宗」と呼びました。それを、明治になって正式に浄土宗とは別の宗とする際に、名称として「浄土真宗」としたのです。

 

ということで、浄土真宗と真宗は同じ意味です。また、東西本願寺は巨大ですが、佛光寺派は京都の通り名にもなっている(「仏光寺通」があります)くらい歴史は古い宗派です。歴史的経緯として、高田派、佛光寺派など弟子筋が耕した(浄土)真宗の畑を、広大な土地へと広げたのが本願寺であると言えます。真宗教団全体の中ではそれぞれに存在意義があるのであり、優劣はありません。

 

なお、違いと言えば本山と門主、お経を読む際の節回しや和讃の扱い、僧侶の衣装くらいのことで、読むお経や和讃は同じですし、何よりも親鸞聖人を宗祖と仰ぎ、南無阿弥陀仏を称えることを大事にしている点は、全く同じです。

 

以下のページもご参照ください。

浄土真宗について

 

<補足>

佛光寺派の門主が蓮如上人に帰依したと上に記しましたが、比叡山延暦寺からすると念仏宗は邪教との偏見があり、本願寺もそうですが、佛光寺に対しても門主を更迭せよとプレッシャーをかけてきたとの説もあります。その結果、佛光寺は同じ念仏宗として当時盛んになっていた本願寺に合流することで、いわば旧仏教勢力と対峙しようと考えたようです。ただ、門主職を辞任せよというのが延暦寺の指示でしたので、門主は辞任し多くは門主に帯同して本願寺に移ったが、佛光寺としてはそのまま維持すべく、弟が門主に就任したということのようです。なかなか歴史は難しく、何が正しいのか証拠は見つかりませんが、一つの考え方として、こちらの見解も納得できるものです。

強く強調しておきたいのは、佛光寺が異端であるなら、蓮如上人も受け入れなかったと思います。親鸞聖人の思いを受け継ぐ者同士、一致団結してやっていく。とはいえそれぞれの流儀があるのでそれも尊重するということでなかったかと推量します。

 

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