お布施について思うこと

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お布施について思うこと

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2021/09/15 お布施について思うこと

お布施については、皆さん気になることでしょうし、私自身もこのブログで何度も書いているのですが、つい最近、QUORAという言論プラットフォームで、次のような質問&回答を目にして、ああ、残念だなあと思いましたので、これまでのブログ内容と繰り返しの内容も多いですが、お布施について改めてお話ししたいと思います。

 

葬式など法事に参加した際に感じた、理不尽だと思うエピソードがあれば教えてくださいませんか?

 

おそらく多くの皆さんは、お布施というのはお経をあげてもらった対価だとお思いだと思います。もしそうだとすれば、お経を上げるのはサービスであって、それに対する対価であるなら、消費税がかかります。でも、実際には消費税はかかっていません。

 

いやいや、今は税込価格を書かないといけないんだから、いわば内税、3万円のお布施なら2730円くらいが消費税なんでしょと思われますか?

でもそれなら、お布施に領収書を発行しないといけなくなりますが、発行の義務はありません。書けと言われれば書きますが、言われたことはまだありません。

 

お布施を渡す、お布施をいただくというのは、客と店の関係ではありません。本来、寺は檀家さんからの寄進によって成り立っています。自分自身では金儲けする術を持たないのが僧侶ですから、檀家さんにおんぶに抱っこです。ただし、寺の僧侶は、仏教行事に従事し、仏法を広く知らしめる役目を負っています。葬式や法事がなくても、どこかの寄り集まりで法話をしたりして、それをありがたいと聞いてくださる聴衆との結びつきとなるわけです。

 

江戸時代には強制的な寺檀制度により住民は必ずどこかのお寺の檀家になる必要がありましたが、今は寺檀制度はありませんから、昔からのお寺(菩提寺と言ったりします)と良好な関係を結んでいるならそれでいいですけれども、そうでないならどこでもいいのです。そして、そのどこでもいいというのが、どのお寺を選んだらいいかわからないことにもつながるわけですけれども、そこはどこに就職するのかとか、誰と結婚するのかと、同じです。いい会社に出会えればそれでいいし、出会えないかもしれない。いい配偶者に巡り会えるかもしれないが、巡り会えないかもしれない。お寺も、ああ、失敗したなあということもあるかもしれません。でも、固執する必要はありませんから、新たに探せばいいんじゃないでしょうか。お医者さんについて、案外皆さん、いつも行くところを変えたりしたことはあるんじゃないでしょうか。どうも先生の治療合わない気がするから、別のお医者さんに行ってみよう、と。まあこれは国民皆保険で、どこのお医者さんに行っても大体の治療費がわかるからできることでしょうけれど。

 

要は、ご縁の世界。昔からのお寺とのご縁もご縁ですし、新たに見つけたお寺とのご縁もご縁。合わないと思えば変えればいいし、いいなと思えば、「常連」になればいいのです。今は強制ではないのですから、ご自分の考えに従って。

 

お寺から法外なお布施を要求されたというのが、先にリンクしたところにも書かれていましたし、これまでもよく見聞します。ただ、正直なところ、そんなお寺さんを、少なくとも私の周りでは見たことがありません。

 

お布施というのは、繰り返しになりますがお寺への寄付です。お気持ちを寄付していただく。寺に対してできる限りのことをしてあげたいと思えばたくさん寄進されればいいですが、ろうそく1本でもその人にとって精一杯の寄付であるなら、十分です。

もっとも、お寺も生きていかねばなりませんので、皆がろうそく1本しか寄付してくれなければ、生きていけません。たくさんいただける方がいてこそ、少しの寄進の場合とトータルすれば生きていけるということになります。ブラックジャックという手塚治虫の名作漫画、腕は立つが欲深い医師との悪評があるものの、子供の患者に対して、風車一つの「治療費」であっても微笑んでそれで済ませたこともあります。たくさんくれる人からはもらい、そうでない人に対しても最高の医療を施す。日本は国民皆保険ですが、国民皆保険になる前は野菜などの現物支給の患者でもちゃんと薬を出した赤ひげ先生がいたと言われています。皆から野菜だけだと薬も調達できないでしょうが、おそらくたくさん支払ってくれる患者もいたんだと思います。

 

院号法名という格の高い法名がありますが、これをお金で買うことができると考えておられる方がいます。さらに院殿号という、より格の高いもの(※)を、ある本山格のお寺に対して「2000万円出すからつけてくれ」と言ってこられた方がいた。でもそのお寺は断ったそうです。

 

本来、院号や院殿号は、お寺が、ありがたい高額な支援をくださった檀家さんに対して、お礼の意味でつけたものです。まさに「院」「院殿」(=お寺一宇、伽藍)を建てることができるくらいご寄進いただきありがとうございました、ということです。院号はもちろん院殿号は寺と檀家さんの関係性があってこそであり、本当はお金で買えるものではありません。

 

布施というのは、正確には修行の意味もあると言われます。お寺を、僧侶をサポートしたいという思いのものであり、サービスの対価ではありません。例えば古くからの檀家さんが遠方におられ、そこまでお参りしていますが、お布施を超える交通費がかかります。それでも、その檀家さんとの関係性があるからこそ、伺うのです。お布施をいただく僧侶にしても、それは修行そのものなのです。

 

色々書きましたが、お寺をサポートしようとは思わないけれど、法事はしてもらいたいしなあ、という場合も少なくないと思います。それならそれなりのお布施を、サポートしようと思うならそれなりのお布施をいただければ、お寺としてはありがたいことです。

 

綺麗事ばかりだなあとお思いでしょうか。でも、お布施はそういうものです。とは申せ、理屈はいいから、お布施の額とか聞きたかったなあと思われるかもしれません。

ちょっと最後に少しだけぶっちゃけておきますが、お布施の額をこれくらいと書くと金額が一人歩きするのでそれだけはできませんけれども、浄土真宗は結構リーズナブルです。また、当佛光寺派では、本山に対してなされるもの、例えば院号法名は必ず本山に登録しますが、その冥加金は「20万円〜」(令和3年9月現在)となっています。20万円でもいいですが、もちろんそれ以上いくらでもありがたくいただきます。これはサイトには掲載されていません。やはり数字というものは怖いもので、あくまで参考例とお考えください。

 

お布施等につき、基本的には「お気持ちで」と回答するのが常ですが、大体の相場等をお知りになりたい場合は、遠慮なくご相談ください。あくまで相場として、回答いたします。

 

(※)古くは院殿号の方が院号より下位だったそうですが、特に江戸時代以降、権力者が院殿号を用いたので、院殿号の方が上位の扱いとなったとの解説が、いろんなところでなされています。ちなみに、天皇が院政を敷くときなど、〜院と称したことに起源があるとの解説もありますが、院政を敷く場合出家することが多く、それこそ寺院一つ作れるほどの寄進をし篤信者であったことが、院号をもらう要件であったことが伺えます。

 

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