南北御堂のご紹介

超願寺

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南北御堂のご紹介

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2021/11/15 南北御堂のご紹介

当超願寺は佛光寺派であり、南北御堂とは宗派が違いますが、大阪のメインストリート御堂筋の名の由来でもあり、また、大阪真宗協和会は両御堂で行事を行うことが多く、私自身ご縁を感じております。

 

そんなわけで、簡単に両御堂をご紹介いたします。

 

つい先日、難波の当寺から中津までウォーキングをしました。1時間15分。自転車(大体35分ほど)で行くときは人通りの多い御堂筋は避けて行くのですが、徒歩だと御堂筋は歩道も広く歩きやすいです。御堂筋の西側に両御堂ともありますが、写真撮影には向かい側からの方が全体が写しやすいので、東側を歩きました。

 

そびえ立つ「門」(エクセルホテル東急と御堂会館)の間から見える南御堂は、真宗大谷派の別院(難波別院)(クリックすると南御堂のHPに移動します)です。すぐ南に難波神社もあり、この辺も、いわゆる難波と同じく難波村(正確には上難波村)だったようです(当超願寺は、創建当初から現在地にありますが当時の住所は「摂津国西成郡難波村」です)。

 

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報恩講の飾りでしょうか、仏旗はためく北御堂は、浄土真宗本願寺派の別院(津村別院)(クリックすると北御堂のHPに移動します)です。

 

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地下鉄御堂筋線に乗っておりますと、本町駅で(うろ覚えですが)「西本願寺北御堂、東本願寺南御堂はこちらでお降りください」というアナウンスが聞こえてきます。東西南北全て出てくる珍しいアナウンスではないでしょうか。全く関係のない余談ですが、いつも思い出すのは、東京の池袋の西口に東武が、東口に西武があることです。

 

実は、佛光寺派の大阪別院も、この近所にありました。平野という地名の場所にありましたので平野御堂と呼ばれていました。時は移り変わり、今は御堂筋線あびこ駅から徒歩10分弱のところにあります。

 

なお、本願寺の歴史においては、蓮如上人が大阪を開拓したことになっていますが、それ以前からお寺は結構ありました。おそらく佛光寺派の寺も多く、後に本願寺に帰属した寺も少なくありません。当寺の近隣には「難波七か寺」と呼ばれた佛光寺派の寺が固まっていますが(現在は五か寺に)、上町台地の四天王寺から見下ろす現在の浪速区辺りには古くから浄土信仰が根付いていたともいわれます(浄土宗、浄土真宗のお寺が多いですし、近隣には大念仏宗のお寺もあります)。江戸時代、当時のご門主から、「本願寺に移らず佛光寺を支えてくれてありがたい」というような手紙が、七か寺合同の法要の際に送られたとの記録も残っています。

 

以前にも書いたことがあったかと思いますが、現在の佛光寺派や高田派の方が本願寺成立以前から栄えており、蓮如さんの登場で、一気に本願寺が優勢になりました。真宗史の専門家の論文でも、他派教団から本願寺教団に大挙移籍した寺があったことは記されています。佛光寺派からも、かなりの寺が移りました。その後、佛光寺から移った一派は興正派として独立しましたが、多くは本願寺にとどまったようです。

 

本願寺教団から佛光寺は異端だといわれのない批判を受けたこともありましたが、繰り返し強調しておきたいのは、佛光寺も歴史のある教団であり、両本願寺は真宗の隆盛を築いた教団であり、今は真宗教団連合として仲良くさせていただいています。

 

浄土真宗といえば本願寺とお思いの方も多く、「お西ですか、お東ですか」と聞かれることも少なくありません。佛光寺や興正寺、専修寺(高田派)など全部で10派ありますので、他派にもご関心をお持ちいただけると幸いです。下記にHPをリンクしておきます。

 

真宗佛光寺派本山のHP

 

真宗教団連合のHP

 

大阪真宗協和会(真宗教団連合大阪支部)のHP(FB内)

 

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