改めて、京都へ向けての第一歩

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改めて、京都へ向けての第一歩

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2022/05/30 改めて、京都へ向けての第一歩

初夏の陽気の某日午後3時、京都へ向けての第一歩を、改めて踏み出すことにしました。来年の慶讃法会に向け、大阪から京都まで、昔の人はどうやって本山に参詣していたのかを実証する徒歩での上洛。以前にも6回に分けて本山を目指しましたが、再び始動。

今回は、京街道の始点である高麗橋または京橋(不確かですが、江戸時代までの始点は京橋だったのが明治になって高麗橋になったようです)までを歩きました。もし、賛同してご一緒してくださる方がおられれば、スタートは京橋にしようと思っています。

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当寺の石標と平和地蔵尊に「行ってきます」と出発。京橋くらいは近いものですが。

途中途中で、著名な寺社に立ち寄りつつ。ここはアメリカ村近くの御津八幡宮。外は人でごった返しているのに、境内は静かな佇まい。

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次に訪れたのは難波神社。

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そして、南御堂、真宗大谷派難波別院。

現在難波と言えばもう少し南の難波駅周辺の印象ですが、ここは本町に近くなぜ難波?と思われるかもしれません。昔はこの辺りは上難波村でしたので、その由来だと思います。ちなみに現在の難波駅付近いわゆるミナミは難波村でした。当寺の所在も摂津国西成郡難波村です。

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続いて中央大通りを越えると北御堂、浄土真宗本願寺派津村別院。南北御堂にはよく伺っておりお世話になっておりますのでお参りは今回はしませんでしたが、気になっていた本願寺ミュージアムを駆け足で見学。写真撮影は原則禁止ということで撮れませんでしたが、古い地図などもありまた観に行こうと思います。

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本来、最初の目的地は当佛光寺派大阪別院のあった平野界隈。昭和の初めまでこの近辺にあり、平野御堂と呼ばれていたそうです。正確な位置を知らず、とりあえず御堂筋から堺筋まで歩き、真ん中あたりにあったビルの看板を撮影。まあこの辺りなんだろうということで。

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江戸時代なら、もしかすると本山へのお参りも平野御堂に集合したのかなと想像してみました。徒歩、あるいは以前は船も行けたのかもしれませんが、今は淀川は堰があって大阪から京都に直行はできません。関西観光の活性化のために船の定期運行計画があるようですが、いつになることやら。

平野御堂からほど近い所に高麗橋はあります。里程元標跡とあり、ここが西日本各地への道路の起点とされたとのこと。ようやく、京街道の始点に到着。途中本願寺ミュージアムに10分ほどいましたが、それを入れても難波から50分程度の行程です。

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高麗橋をスタートしてほど近くに八軒家船着場跡があります。今の大川より南側に古びた階段があるのですが、元はここが船着場だったとのこと。すぐ西側の道が熊野街道で、京都から船で着いた人々が熊野に向けて歩き始めたのかなと思いを馳せました。

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天満の駅を東に行くと寝屋川橋が。

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寝屋川橋から片町の交差点までの間は、ビルが建っていたりはしますが右に大阪城天守閣を望みながらになります。

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片町の交差点まで来れば、京橋はもうすぐです。

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今は何てことはないアスファルトの道。

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京橋あたりは、高低差が微妙にあります。おそらく以前は川だったり土手だったりしたのでしょう。

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わかりにくいかもしれませんが、左側の道はやや高く、右側は低くなっています。

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そうこうしているうちに京阪京橋駅到着。

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JR京橋駅もすぐ隣。

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人の往来も激しいところに、ぽつんと昔の道標が。3枚目に「左 京」の文字が見えます。まさに左方向に京街道が延びています(京から大阪に向かう際は「大坂街道」と呼ばれていたそうです)。次回は、ここを起点に京街道を進みます。本格的に参加者を募ることになったとしたら、やはりここ集合でスタートする予定です。

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この道標到着は午後4時30分。難波から1時間30分、高麗橋から40分の道のりでした。いい汗をかきました。

ちなみにYouTubeでも同じ内容ですが配信しています。こちらをご覧ください。

 

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