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京街道を歩いて本山へ行こう!(大日(守口)〜枚方市編)
梅雨入り宣言のあった近畿ですが、降りそうで降らない予報の中、朝からまたウォーキングに出かけました。なんだかうまい具合に午前10時が出発時間。大日駅をスタート。
歩き出してすぐに守口市立図書館がありますが、そこに芭蕉の碑が。ネットで調べたところ、芭蕉は守口に住んでいたらしく、その縁で別のところに設置されていたのが最初だそうです。その後、比較的最近、こちらに移設されたとか。
さて、今回、前回お話しした淀川河川敷にすぐに向かわず、国道1号線を進むことにしました。その理由は、まずはこの佐太樋跡。本当は佐太の渡し跡を探しに行ったはずなのですが、見つからずこちらがあったというわけで。ネットで「渡し」の方を調べましたら、前を通ったようなのに気づいていませんでした…orz また見に行ってみたいと思います。昭和48年まで渡し船があったとのことです。
佐太樋に関しては、淀川から水を取り入れる樋門が大正12年以前にあったことを記念して昭和5年に建てられたということが、ネット情報で上がっていました。ごく簡単に調べただけですので、ご関心のある方は、また調べてみてください。
次が「間の宿・佐太」の碑。宿場は幕府が決めたところ以外に作れないところ、ここは休憩所として認められていたそうです。こんなこともあったんですね。
上の写真は佐太天満宮の鳥居のそばにありましたが、中に参詣してみると、豪商で名高い淀屋が色々と寄進しているとのこと。
その後、淀川河川敷に上がり、しばらくは河川敷を進みます。下の写真のように、ところどころ河口からの距離が。22キロ過ぎくらいだったでしょうか、ちゃんと確認していませんが、3キロほど河川敷を歩きました。
前回(昨年)は風も冷たい春の頃だったと思いますが、今回は梅雨時期。足取りも重く、結構辛かった。しかし経口補水液は優秀です。水を2本、経口補水液を2本持って出発しましたが、水だけだと力が湧かなかったのに、経口補水液で少し元気回復。熱中症対策に、経口補水液は必携です。
河川敷を歩きますと、次に「茨田堤」の碑が。日本書紀の逸話などにも登場するそうですが、これ自体は明治7年に初めて近代的手法で淀川修築工事が行われてから100年目の昭和49年に建てられたそうです(京街道ウォーキングマップの解説より)。
また、すぐ近くに「茨田樋之跡」もあります。住宅密集地のど真ん中に古い水路が遺構として残され、水辺公園として整備されています。と言っても、鬱蒼とした雑草に覆われていて、蛇でもいそうな雰囲気。土手から少し下りなければならず、この日はパスしました。
しばらくすると、堤防を下り、市街地へ。曲がりくねりながらも一本道という、昔ながらの街道という雰囲気の道を進むと、築100年は有に超えているであろう建物も散見されます。
しばらく進むと、親鸞聖人腰掛けの石が。
光善寺飛地境内のようです。光善寺は、出口御坊(出口はこの辺りの地名)とも称される、由緒あるお寺。蓮如上人開基とされ、京阪電車の駅にも「光善寺駅」があります。
ようやく枚方宿の西の端「西見附」に到着。
下は鍵屋。往時は船着場の宿として賑わっていたそう。今は資料館として公開されています。前回来た時は定休日で入れなかったので、今回は満を持して入館。淀川を行き交う三十石船とくらわんか船に関する面白い資料満載でした。鍵屋は京から大坂へは半日か半夜で行けたものの、大坂から京へは1日から1夜かかったそうです(水の流れに逆らうので当然と言えば当然ですね)。そんな中で、途中食べ物などを売るのがくらわんか船。言葉遣いの荒っぽいのが売りで、家康公に公認されていたとかいないとか。
また是非お立ち寄りください。
2階の窓からは淀川が一望。
ここは鍵屋から程近い船着場跡。
すぐ近くに旧枚方宿問屋役人の古い看板が掲示されている建物が。
前回も感じたことですが、街道沿いには浄土真宗のお寺が多数あり、また、蓮如上人の足跡が特にあちこちにあります。街道を行ったり来たりして、布教に励まれていたのでしょう。下は浄念寺というお寺ですが、京阪電車の線路を挟んで反対側に願生坊というお寺が(こちらは行きませんでしたが、またの機会に)。京街道もここは二手に分かれてまた合流します。浄念寺はお西、願生坊はお東ということで、地域の人は前者を西御坊、後者を東御坊と呼んでいたそうです。
下も浄土真宗のお寺。
軒先には燕の巣が。ぴいちくぱあちくかわいらしいひなが、私のことに気付いたのか一瞬身をすくめます。ごめんね、びっくりさせて。
ここは本陣跡。本陣とは、大名クラス以上の人が泊まる宿のことです。
枚方市駅に到着しました。時折5分ほどの休憩をとりながら3時間歩きましたので、この日はここまでにしました。枚方市で昼食をと思いましたが、炭水化物がメインのお店ばかりが目につき、土地勘もないので、帰ってから食べることにしました。
控えめにビルの脇に立つ碑。
ということで、難波で昼に家族でよく行くお店にて、遅い昼食。美味しゅうございました。
この日も、京街道以外も含め、24000歩越え。よく歩きました。次回は、枚方市を出発して、どこまで行けるかな。お楽しみに。
内容は同じですが、YouTubeでもお話ししています。よろしければ、そちらもご覧ください。こちらをクリック。
24/10/12
24/07/18
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梅雨入り宣言のあった近畿ですが、降りそうで降らない予報の中、朝からまたウォーキングに出かけました。なんだかうまい具合に午前10時が出発時間。大日駅をスタート。
歩き出してすぐに守口市立図書館がありますが、そこに芭蕉の碑が。ネットで調べたところ、芭蕉は守口に住んでいたらしく、その縁で別のところに設置されていたのが最初だそうです。その後、比較的最近、こちらに移設されたとか。
さて、今回、前回お話しした淀川河川敷にすぐに向かわず、国道1号線を進むことにしました。その理由は、まずはこの佐太樋跡。本当は佐太の渡し跡を探しに行ったはずなのですが、見つからずこちらがあったというわけで。ネットで「渡し」の方を調べましたら、前を通ったようなのに気づいていませんでした…orz また見に行ってみたいと思います。昭和48年まで渡し船があったとのことです。
佐太樋に関しては、淀川から水を取り入れる樋門が大正12年以前にあったことを記念して昭和5年に建てられたということが、ネット情報で上がっていました。ごく簡単に調べただけですので、ご関心のある方は、また調べてみてください。
次が「間の宿・佐太」の碑。宿場は幕府が決めたところ以外に作れないところ、ここは休憩所として認められていたそうです。こんなこともあったんですね。
上の写真は佐太天満宮の鳥居のそばにありましたが、中に参詣してみると、豪商で名高い淀屋が色々と寄進しているとのこと。
その後、淀川河川敷に上がり、しばらくは河川敷を進みます。下の写真のように、ところどころ河口からの距離が。22キロ過ぎくらいだったでしょうか、ちゃんと確認していませんが、3キロほど河川敷を歩きました。
前回(昨年)は風も冷たい春の頃だったと思いますが、今回は梅雨時期。足取りも重く、結構辛かった。しかし経口補水液は優秀です。水を2本、経口補水液を2本持って出発しましたが、水だけだと力が湧かなかったのに、経口補水液で少し元気回復。熱中症対策に、経口補水液は必携です。
河川敷を歩きますと、次に「茨田堤」の碑が。日本書紀の逸話などにも登場するそうですが、これ自体は明治7年に初めて近代的手法で淀川修築工事が行われてから100年目の昭和49年に建てられたそうです(京街道ウォーキングマップの解説より)。
また、すぐ近くに「茨田樋之跡」もあります。住宅密集地のど真ん中に古い水路が遺構として残され、水辺公園として整備されています。と言っても、鬱蒼とした雑草に覆われていて、蛇でもいそうな雰囲気。土手から少し下りなければならず、この日はパスしました。
しばらくすると、堤防を下り、市街地へ。曲がりくねりながらも一本道という、昔ながらの街道という雰囲気の道を進むと、築100年は有に超えているであろう建物も散見されます。
しばらく進むと、親鸞聖人腰掛けの石が。
光善寺飛地境内のようです。光善寺は、出口御坊(出口はこの辺りの地名)とも称される、由緒あるお寺。蓮如上人開基とされ、京阪電車の駅にも「光善寺駅」があります。
ようやく枚方宿の西の端「西見附」に到着。
下は鍵屋。往時は船着場の宿として賑わっていたそう。今は資料館として公開されています。前回来た時は定休日で入れなかったので、今回は満を持して入館。淀川を行き交う三十石船とくらわんか船に関する面白い資料満載でした。鍵屋は京から大坂へは半日か半夜で行けたものの、大坂から京へは1日から1夜かかったそうです(水の流れに逆らうので当然と言えば当然ですね)。そんな中で、途中食べ物などを売るのがくらわんか船。言葉遣いの荒っぽいのが売りで、家康公に公認されていたとかいないとか。
また是非お立ち寄りください。
2階の窓からは淀川が一望。
ここは鍵屋から程近い船着場跡。
すぐ近くに旧枚方宿問屋役人の古い看板が掲示されている建物が。
前回も感じたことですが、街道沿いには浄土真宗のお寺が多数あり、また、蓮如上人の足跡が特にあちこちにあります。街道を行ったり来たりして、布教に励まれていたのでしょう。下は浄念寺というお寺ですが、京阪電車の線路を挟んで反対側に願生坊というお寺が(こちらは行きませんでしたが、またの機会に)。京街道もここは二手に分かれてまた合流します。浄念寺はお西、願生坊はお東ということで、地域の人は前者を西御坊、後者を東御坊と呼んでいたそうです。
下も浄土真宗のお寺。
軒先には燕の巣が。ぴいちくぱあちくかわいらしいひなが、私のことに気付いたのか一瞬身をすくめます。ごめんね、びっくりさせて。
ここは本陣跡。本陣とは、大名クラス以上の人が泊まる宿のことです。
枚方市駅に到着しました。時折5分ほどの休憩をとりながら3時間歩きましたので、この日はここまでにしました。枚方市で昼食をと思いましたが、炭水化物がメインのお店ばかりが目につき、土地勘もないので、帰ってから食べることにしました。
控えめにビルの脇に立つ碑。
ということで、難波で昼に家族でよく行くお店にて、遅い昼食。美味しゅうございました。
この日も、京街道以外も含め、24000歩越え。よく歩きました。次回は、枚方市を出発して、どこまで行けるかな。お楽しみに。
内容は同じですが、YouTubeでもお話ししています。よろしければ、そちらもご覧ください。こちらをクリック。