仏性も、魔性も-彼岸会にあたり、佛華をお供えしました

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仏性も、魔性も-彼岸会にあたり、佛華をお供えしました

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2024/09/23 仏性も、魔性も-彼岸会にあたり、佛華をお供えしました

突然私ごとで恐縮ですが、財布をなくしました。おそらくタクシー車内なのですが、かなり日が経っても出てはきませんでした。

 

現金はもちろん、大事なカード類をほとんどなくし、免許証だけ別にしていたことがせめてもの幸い、翌日からのお参りに影響しませんでしたので、その点は助かりました。

 

しかし、出てこないということは、誰かが「占有離脱物横領」の罪を犯したということです。

 

私が落としたのですから、どなたかを罪人にしてしまうきっかけを作ってしまったことは、真摯に反省しなければいけません。否、胃は痛く、精神に変調をきたしておりますので、十分その責は負っているものと思います。まあ、私は被害者なんですが。

 

さて、山川草木皆悉有仏性。言うまでもありませんね。全てのもの、全ての人間には仏性がある。一粒の米に3人の仏様がいるとも言います。浄土の教えでは、私たちは死後は皆お浄土に救われ、仏になる。

 

だけれど、あまり仏教では言わないことではありますが、魔性も有するのが人間ですね。「魔が差した」という表現がありますが、私も財布を落としさえしなければ、それを拾った人に「魔が差す」きっかけを与えることもなかったわけです。

 

魔が差すことは人間の弱さなので仕方ありません。煩悩に絡め取られた凡夫だからこそ、私たちは救われる。だけれど、親鸞聖人も「いい解毒薬があるからと言って、わざわざ毒を飲む必要があるか」と、弟子との問答の中で答えておられます

 

魔が差すのは仕方ないとしても、財布を拾って中身ゲット、ラッキーと思うのか、あ、困っておられるだろう、早く届けてあげようと思うのか。

 

この文章をお読みの皆さんからすれば、自分の財布をなくしたから、こんなこと言ってるんだよね、馬鹿だなあ、とお思いかもしれません。

 

私の個人的な話であることは事実ですが、この世のルールに照らして客観的に見れば、財布を拾ってラッキーと思うか、あ、早く届けてあげなきゃと思うのか、どちらが正しいでしょうか。私が拾う立場なら、間違いなく後者を選びます。

 

個人的な失敗談をお話しして失礼しました。皆さんも、大事なものをなくさないよう、お気をつけください。

 

さて、秋分の日に秋の彼岸会をお勤めしましたが、お彼岸にあたり、佛華をお供えしました。立派な高野槙をいただきましたので、高野槙を基盤に、いつもの菊と、はまなすなど様々な布陣。

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友人が、私の窮状を知って、心機一転のためにと、高野槙の林をお持ちの方にお願いしてもらってきてくれました。お祈り、祈願は浄土真宗的ではないですし、私も財布が出てきますようにと祈ることはしないようにしていますが、でも人間だもの、出てきてほしいなあとは思っています。

 

ちなみに、先週は法事がありましたので、このような佛華をお供えしました。ヒバを土台に、スタメンの菊、さらに彼岸花をメインにしたものです。まだ1週間しか経っていませんが、やや枯れかけておりましたので、彼岸法要に合わせて上記のような佛華にしてみました。皆さんは、上のものと下のものと、どちらがお好みですか?

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暑さ寒さも彼岸までとはよく言ったもので、秋風が吹くようになり、過ごしやすくなりました。皆さんお風邪など召しませんよう、寒暖差にお気をつけて、お過ごしください。

 

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