菩提寺:寺檀制度

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菩提寺:寺檀制度

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2017/08/07 菩提寺:寺檀制度

皆さん、菩提寺をお持ちでしょうか。今さらお聞きするまでもなく、ネットを自在に操る皆さんの多くは、ご自身の菩提寺がどこかわからない、もしくはわかるけど遠方で付き合いがない、という方でしょう。

 

元々寺檀制度(檀家制)というのは、お上が定めたものです。すなわち、キリスト教禁制のため、庶民の出自を明確にするために、どこかの寺に必ず属しなさいということになりました。すなわち、元から寺のサポーターであった人以外でも、寺の檀家にならないと、「キリシタンではないか」と疑われるので、嫌々でも近隣の寺に所属したのです。

 

しかし、現代は、少なくとも都会では檀家制はほぼ消滅したと思っています(もちろん檀家制を維持している寺もあるでしょうが)。形式的には、明治に入る頃でしょうか、廃止されているわけですが、第二次大戦で檀家さんはみな散り散りになりました。さらには、これだけ人の移動が多い時代、檀家さんの一族も自然と散り散りです。

 

比喩的に申し上げれば、檀家さんと言っても、熱心なサポーターの方と、たまには試合に足を運ぶファンと、テレビで観戦するファンと。親は巨人ファンだけど、子供はサッカーが好きだったり。

 

お寺に関与し僧侶が時折でもお参りに伺うお家を檀家(真宗では、正確には「門徒」)と今も呼称しますが、本来の意味での「おらが寺」(檀家さんが寺を支えてくれるシステム)という檀家制とは、全く異質な檀家制度ではないでしょうか。

 

最近、檀家制をやめて信徒制にした、という寺が話題になっています。言葉の問題だけ捉えれば、特段何の違いがあるのか、ということになりそうですが、結局は、分譲マンション(の管理組合)と賃貸マンションとの違いなのかなと思ったりもします。

 

すなわち、本来の檀家制度は、寺が自分たちの所有物であるという意識を強く持っていて、分譲マンションの管理組合のように、マンション(寺)の補修が必要なら私たちが出すし、マンションの運営会社(寺の住職)が出来損ないなら、別の運営会社に変えようと議論する。しかし今は、賃貸マンションの住人と同じで、別にマンションの運営会社(寺)はいっときの関係であり、いやなら別のマンションに移る。マンション(寺)の補修は、マンションが勝手に考えればいいことで、住人の私たちが何かを負担しなければいけないいわれはない。あったとしても、ごく簡単な(退所時のように)リフォーム費用の負担程度である。

 

分譲マンション的な寺との付き合いは今でもありうることですが、先にも述べたようにこれだけ移動の激しい時代ですから、賃貸マンション的な寺との付き合いが増えることもまた、当たり前なのだろうと思います。

 

ただ、賃貸マンションであっても、居心地がよければ、長く居つく住人もいます。分譲マンションを購入しても、どうしてもいやなら、売却して転居する選択肢も、今はある時代です。転勤により、いやがうえにも転居ということも非常に多いでしょう。

 

寺檀制度が維持できている寺は幸運ですが、維持できない寺は幸運ではないかというと、それは考え方次第。

 

私が住職を務める寺は、ごく零細な、家族だけで運営する寺です。檀家さんも決して多いわけではありません。でも、複数の檀家総代は、前住職とのよい関係をもとに、本当によくしてくださっています。先の比喩で言えば、熱心なサポーターです。また、それに準じる(たまに試合を観戦に来るファンの)方も、寺院運営に理解があり、兼業をしている私に対しても、「お忙しいのに寺のこともしっかりやってくださって感謝している」という言葉をくださいます。

 

賃貸マンションだからこそ、濃い関係の檀家さんとのしがらみのない運営ができる面もあります。従来からの檀家さんにも配慮しつつ、新たな檀家さんを獲得する。すぐに出て行く人もいるかもしれないけれど、長く居ついてくれる人もいるかもしれない。

 

多くの出会い、ご縁の中で、育まれるものがある。多くの人付き合いの中で、寺が成長する面もある。固定的な寺檀制度は、本来、親から子、子から孫への伝承による「人の流動」が必要なのですが、今は、(檀家さんの)親子も別に暮らしていたりして、それがない。檀家さんの家族のご都合もあるから、子供さんに寺のサポーターになれと強制はできないとすれば、檀家さん以外の新たなファンの獲得はどうしても必要になりますし、ファンが獲得できないということは、十分なもの(例えば法話とかお経)を提供できていないということです。

 

よくしてくださる檀家さんはありがたいですが、そのことにあぐらをかかず、精進していく。現代社会は、寺にも、それが求められているのだろうと、強く感じる次第です。

 

最後に一言付け加えておきますが、ネットを自在に扱う皆さんが、ネット上で何かを探される際、ネット上での評価を気にされると思います。しかし、誰か信頼の置ける人の評価ならまだしも、見ず知らずの人が書いた評価を気にされるのは、怪文書を信じているのとあまり変わりません。何かのCMで、あるレストランを予約して部下を連れてきた上司が「このレストランは予約が取りにくいし、何よりネットでの評判がいい」というようなことを言ったのに対し、部下が、「(上司が)美味しいと思ったかどうかが大事じゃないですか」と反論するシーンがありました。レストランにせよ寺にせよ医者にせよ、まずは自分でどうなのか試してみるべきだと思います。急に葬式をお願いしなければいけないという時は気が動転していたりしますから、その前から、近隣の寺などを見て回って、場合によっては寺の人間に話を聞くなどして、自ら探されることをお勧めします。葬式や法要のときだけでなく、普段から接している僧侶の方が、人柄もわかり、依頼しやすいのではないでしょうか。

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