9月ももうすぐ終わり

超願寺

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9月ももうすぐ終わり

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2017/09/24 9月ももうすぐ終わり

暑かった夏も終わり、暑い暑いと言ってたら、知らぬ間にもうすぐ9月も終わりますね。今年もあと3ヶ月ほどです。

 

大学は、以前は8、9月の2ヶ月が夏季休暇というところが一般的でした。今は、文科省の通達なのかどうかわかりませんが、しっかり学生に勉強させよということで、年間26回程度の講義回数でもよかったのが、30回きっちりやれとなり、夏季休暇は小中学生より短くなりました。大学によっては、祝日開講にして、夏休みを確保しているところもありますが、部活やバイトができないという学生からの意見もあり、私の属する近畿大学では暦通りに休みを取っています。

 

勉強するかどうかは講義回数ではないです。むしろ短くても集中してやるのが本当はいいのだろうと思いますし、夏季休暇はしっかりとって、その間に例えば海外短期留学とか全国放浪みたいなことも、大事な人生勉強だと思います。

 

私は、どこまでいっても、押し付けの勉強は意味がなく、自ら学ぶ姿勢が大事だと、当たり前のようでいて、その当たり前が通じないのが今の教育だと感じています。初等、中等教育なら、もちろん必要不可欠なことを詰め込み式で教えるべきでも、大学は誰にも教えてもらえない人生、社会を生き抜くための最後の教育の場。究極のゆとり教育というか、自ら自分のこれからの何十年続く人生をどう生きようかと考える場だと思うのです。

 

宗教も別に押し付けられるものではないですよね。もちろん押し付けられるものではないから好き勝手に解釈することもできて、それが社会に害をなすこともあります。むしろそういったことがニュースで大きく取り上げられます。

 

しかし、お釈迦様はおっしゃいました。「法灯明、自灯明」と。仏法を灯りとし、自らを灯りとせよ、と。

 

私はこれを、考えて考えて、その基準を仏法に置きつつ、自分で考え続けよ、というように解釈しています。誰かに教わって、それに忠実に生きる。それは、主体的に生きていません。生きるための基準は教わったとしても、それをどう読み取るかは自分次第。その結果、社会に害をなす宗教、教えを読み違えた異安心もあります。私は、それは宗教の名に値しないとは思うけれども、それは他山の石とすればよい。自分自身は、社会に害をなす考え方をしなければいいし、他者がしていないことでも正しいと思えばすればいいし、他者がしていても正しくないと思えばすべきではないのです。ただそれだけです。

 

長くなりました。佛華を活け替えました。以前より枯れるスピードは遅くなったようですが、花の種類によって早い遅いがあります。また、花粉が多くて、身体中、花粉だらけになるものもあります。こんなことって、多分実際に扱わないとわかりません。押し付けではなく、あるいは押し付けでもいいですが、何はともあれ経験してみることの必要性を感じます。でもね、自らやってみようという方が、より理解できるとは思います。

 

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