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「オランダへようこそ」
「オランダへようこそ」と題した詩をご存知でしょうか。私は、大好きな「コウノドリ」という漫画が原作のテレビドラマを観て、そこで引用されていて初めて知りました。
エミリー・パール・キングスレイと言う方が書かれた、ダウン症の子供を持つことの意味を比喩的に表現した内容です。
著作権の問題はあるのかもしれませんが、とてもいい詩で、それを日本語に訳されている方の文章を引用しておきます。引用先URLは、以下のとおりです。
http://www.jdss.or.jp/tane2017/index.html
****************
私はよく「障がいのある子を育てるのってどんな感じ?」と、聞かれることがあります。 そんな時私は、障がい児を育てるというユニークな経験をしたことがない人でも、それがどんな感じかわかるようにこんな話をします。
赤ちゃんの誕生を待つまでの間は、まるで、素敵な旅行の計画を立てるみたい。 例えば、旅先はイタリア。山ほどガイドブックを買いこみ、楽しい計画を立てる。コロシアム、ミケランジェロのダビデ像、ベニスのゴンドラ。簡単なイタリア語も覚えるかもしれない。とてもワクワクします。
そして、何カ月も待ち望んだその日がついにやってきます。 荷物を詰め込んで、いよいよ出発。数時間後、あなたを乗せた飛行機が着陸。 そして、客室乗務員がやってきて、こう言うのです。「オランダへようこそ!」 「オランダ!?」 「オランダってどういうこと?? 私は、イタリア行の手続きをし、イタリアにいるはずなのに。ずっと、イタリアに行くことが夢だったのに」
でも、飛行計画は変更になり、飛行機はオランダに着陸したのです。あなたは、ここにいなくてはなりません。 ここで大切なことは、飢えや病気だらけの、こわくてよごれた嫌な場所に連れてこられたわけではないということ。 ただ、ちょっと「違う場所」だっただけ。
だから、あなたは新しいガイドブックを買いに行かなくちゃ。 それから、今まで知らなかった新しいことばを覚えないとね。 そうすればきっと、これまで会ったことのない人たちとの新しい出会いがあるはず。 ただ、ちょっと「違う場所」だっただけ。 イタリアよりもゆったりとした時間が流れ、イタリアのような華やかさはないかもしれない。 でも、しばらくそこにいて、呼吸をととのえて、まわりを見渡してみると、オランダには風車があり、チューリップが咲き、レンブラントの絵画だってあることに気付くはず。
でも、まわりの人たちは、イタリアに行ったり来たりしています。そして、そこで過ごす時間がどれだけ素晴らしいかを自慢するかもしれないのです。 きっと、あなたはこの先ずっと「私も、イタリアへ行くはずだった。そのつもりだったのに。」と、いうのでしょう。
心の痛みは決して、決して、消えることはありません。 だって、失った夢はあまりに大きすぎるから。
でも、イタリアに行けなかったことをいつまでも嘆いていたら、オランダならではの素晴らしさ、オランダにこそある愛しいものを、心から楽しむことはないでしょう。
*******************
華やかなイタリアに行こうと思っていたのに、まさかのオランダ到着。日本人にとっては、オランダだって別にいいじゃない、と思ってしまいそうですが、早い話が、行きたくて行きたくて恋い焦がれていた街(例えば札幌)に行くつもりで一生懸命予定を立てていたのに、全く違う、特に行きたいと思っていたわけでもない街(例えば那覇)に着いてしまった。しかも、はじめに行きたかった街には、到着した街からたやすく向かうことはできない。そう考えていただければいいと思います。
人間、思いもよらないことって起こりますよね。何もなければ、それは幸せなことですが(普通・平凡というのはとても幸せな状態なんだと思います)、人生を左右するような選択はきっと1度や2度ではないはず。障碍(しょうがい。私は、もともとはこの字が正しいと考えています)のある子を産むというのは、選択してできることではないですが、今は出産前診断というのもあり、その段階で障碍の可能性が高いと言われながら、出産をやめるのか、出産するのか、究極の選択を迫られます(「コウノドリ」は、まさしくそんな話でした)。
人生に究極の選択はいろいろあると思います。今の配偶者と結婚してよかったのか。一生独身でいいのか。子供を産まなくていいのか。頑張ってもっと別の大学に行くべきだったのか。内定をもらっていた別のあの会社に行くべきだったのか。
「あのときこうしていれば…」という人生の岐路での別の選択肢をとっていればどんな人生だったか。誰しも思うことではないでしょうか。でも、いつまでもイタリア(あるいは札幌)のことを恋い焦がれていても仕方ない。今いるのはオランダ(あるいは那覇)。別に地獄に来たわけではなく、オランダもいいところです。オランダをよく知れば、「結構いいところあるじゃない」ということになる。
実際、選択できなかった人生の岐路の別の方は、先が全くわからない。でも、自発的に選んだかそうでないかにかかわらず、今の人生は、すでに歩んできた人生。この人生を楽しむべきではないか。
24/04/05
23/12/23
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「オランダへようこそ」と題した詩をご存知でしょうか。私は、大好きな「コウノドリ」という漫画が原作のテレビドラマを観て、そこで引用されていて初めて知りました。
エミリー・パール・キングスレイと言う方が書かれた、ダウン症の子供を持つことの意味を比喩的に表現した内容です。
著作権の問題はあるのかもしれませんが、とてもいい詩で、それを日本語に訳されている方の文章を引用しておきます。引用先URLは、以下のとおりです。
http://www.jdss.or.jp/tane2017/index.html
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私はよく「障がいのある子を育てるのってどんな感じ?」と、聞かれることがあります。 そんな時私は、障がい児を育てるというユニークな経験をしたことがない人でも、それがどんな感じかわかるようにこんな話をします。
赤ちゃんの誕生を待つまでの間は、まるで、素敵な旅行の計画を立てるみたい。 例えば、旅先はイタリア。山ほどガイドブックを買いこみ、楽しい計画を立てる。コロシアム、ミケランジェロのダビデ像、ベニスのゴンドラ。簡単なイタリア語も覚えるかもしれない。とてもワクワクします。
そして、何カ月も待ち望んだその日がついにやってきます。 荷物を詰め込んで、いよいよ出発。数時間後、あなたを乗せた飛行機が着陸。 そして、客室乗務員がやってきて、こう言うのです。「オランダへようこそ!」 「オランダ!?」 「オランダってどういうこと?? 私は、イタリア行の手続きをし、イタリアにいるはずなのに。ずっと、イタリアに行くことが夢だったのに」
でも、飛行計画は変更になり、飛行機はオランダに着陸したのです。あなたは、ここにいなくてはなりません。 ここで大切なことは、飢えや病気だらけの、こわくてよごれた嫌な場所に連れてこられたわけではないということ。 ただ、ちょっと「違う場所」だっただけ。
だから、あなたは新しいガイドブックを買いに行かなくちゃ。 それから、今まで知らなかった新しいことばを覚えないとね。 そうすればきっと、これまで会ったことのない人たちとの新しい出会いがあるはず。 ただ、ちょっと「違う場所」だっただけ。 イタリアよりもゆったりとした時間が流れ、イタリアのような華やかさはないかもしれない。 でも、しばらくそこにいて、呼吸をととのえて、まわりを見渡してみると、オランダには風車があり、チューリップが咲き、レンブラントの絵画だってあることに気付くはず。
でも、まわりの人たちは、イタリアに行ったり来たりしています。そして、そこで過ごす時間がどれだけ素晴らしいかを自慢するかもしれないのです。 きっと、あなたはこの先ずっと「私も、イタリアへ行くはずだった。そのつもりだったのに。」と、いうのでしょう。
心の痛みは決して、決して、消えることはありません。
だって、失った夢はあまりに大きすぎるから。
でも、イタリアに行けなかったことをいつまでも嘆いていたら、オランダならではの素晴らしさ、オランダにこそある愛しいものを、心から楽しむことはないでしょう。
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華やかなイタリアに行こうと思っていたのに、まさかのオランダ到着。日本人にとっては、オランダだって別にいいじゃない、と思ってしまいそうですが、早い話が、行きたくて行きたくて恋い焦がれていた街(例えば札幌)に行くつもりで一生懸命予定を立てていたのに、全く違う、特に行きたいと思っていたわけでもない街(例えば那覇)に着いてしまった。しかも、はじめに行きたかった街には、到着した街からたやすく向かうことはできない。そう考えていただければいいと思います。
人間、思いもよらないことって起こりますよね。何もなければ、それは幸せなことですが(普通・平凡というのはとても幸せな状態なんだと思います)、人生を左右するような選択はきっと1度や2度ではないはず。障碍(しょうがい。私は、もともとはこの字が正しいと考えています)のある子を産むというのは、選択してできることではないですが、今は出産前診断というのもあり、その段階で障碍の可能性が高いと言われながら、出産をやめるのか、出産するのか、究極の選択を迫られます(「コウノドリ」は、まさしくそんな話でした)。
人生に究極の選択はいろいろあると思います。今の配偶者と結婚してよかったのか。一生独身でいいのか。子供を産まなくていいのか。頑張ってもっと別の大学に行くべきだったのか。内定をもらっていた別のあの会社に行くべきだったのか。
「あのときこうしていれば…」という人生の岐路での別の選択肢をとっていればどんな人生だったか。誰しも思うことではないでしょうか。でも、いつまでもイタリア(あるいは札幌)のことを恋い焦がれていても仕方ない。今いるのはオランダ(あるいは那覇)。別に地獄に来たわけではなく、オランダもいいところです。オランダをよく知れば、「結構いいところあるじゃない」ということになる。
実際、選択できなかった人生の岐路の別の方は、先が全くわからない。でも、自発的に選んだかそうでないかにかかわらず、今の人生は、すでに歩んできた人生。この人生を楽しむべきではないか。