H29大晦日-喪中ということ

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H29大晦日-喪中ということ

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2017/12/31 H29大晦日-喪中ということ

皆さんどのような大晦日をお過ごしでしょうか。

私は、アクシデントに見舞われ、結局今年の仕事、終わりませんでした。まあ、いいでしょう。それもまた大晦日らしい。

 

さて、年末に喪中のはがきを多くいただきました。少しそのことについて、お話しさせていただきたいと思います。

身内の死は、悲しいものです。まさしく愛別離苦。愛する人との今生の別れが悲しくない人はそうはいないと思います。その点は、心から哀悼の意を表したいと思います。

ただ一方で、死は穢れとは捉えないのが、真宗の教え。死を穢れと捉えるのは、神道の考え方です。また仏教も死を苦と捉えますが、それは生きとし生ける人間が感じるものであり、死後は苦のない世界、お浄土に生まれ変わると考えますので、少なくとも故人にとっては、めでたいことなのです。

 

お叱りを受けるかもしれませんが、「ご愁傷さまで、おめでとう」が、死の意味です。ご遺族からすれば愛別離苦、または死苦。しかし故人からすれば苦からの解放。

 

これまで、喪中の葉書には寒中ハガキでお返ししていましたが、平成30年は年賀状をそのまま送ることにしました。一言説明文は付け足してはおりますが。

 

私は真宗原理主義者ではないのですが、真宗の教えを皆さまに知ってもらいたい。真宗寺院の方でさえ、喪中のハガキを出されることがあります。この世で生きていく以上、世の習いに従うのもまた正しい。ただ、死を穢れと捉え、遺族は喪に服さねばらならないという考え方が神道の教えであることは、お解りいただきたいと思い、喪中の葉書にも年賀状でお返しいたします。

 

お怒りになる方もおられるかもしれませんが、仕方ありません。そこにある風習をそのまま受け入れるのではなく、本当はこうではないか、いややはりこうではないかと考えてこそ「人間は考える葦」です。

 

お釈迦さまは「法灯明、自灯明」とおっしゃいました。仏法を自らの規範としつつ、自分を規範とせよとおっしゃいました。自分を規範とせよとは何か。決まったルールをそのままルールとして受け入れるのではなく、自ら何が正しいのか考え続けよという意味だと私は思っております。

 

死を穢れと捉えるのも一つの考え方だけど、死はお浄土への旅立ち。決して悪いことではない。私はそう思っています。

 

皆様にとりまして、本年が実り多い年でありましたことを祈念しつつ、来年が皆様にとりまして平穏な年でありますことを祈念いたしております。

 

皆様、良いお年をお迎えください。

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