男らしく、女らしく?

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男らしく、女らしく?

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2020/07/13 男らしく、女らしく?

最近、よく思うことがあります。

個性が大事、ありのままがいい、ナンバーワンでなくてもオンリーワンでいい。

このことに反対する気は毛頭なく、むしろ、SMAPの代表曲の一つである「世界に一つだけの花」は、浄土真宗の聖歌にしてもいいのではないかと思うくらいです。

ただその一方で、ありのままがいい、そのままでいいというのは、人の成長を妨げる面もあるのではないかとも感じます。一人一人の人間はそれだけで尊いものの、人生わずか100年足らず、その間に少しでも人間として成長することも必要で、俺はもうこれで十分だから、ありのままで生きるんだからと言っていては、少し残念な気もします。

 

最近は、女らしく、男らしくという言い方は性差別だということになっています。しかし、それでもなお、男性は女らしい人を、女性は男らしい人を好きになるのではないでしょうか。これも好みですので、いや、いわゆる優男が好きだという女性も、たくましい女性が好きだという男性もいるでしょう。

 

どう説明しても語弊がありそうですが、男らしく、女らしくというのは、悪いことではないと私は思います。ある程度、我慢というか辛抱を覚えること、欲望のままに動くのではなくて、「俺は男だ!」的なやせ我慢が必要な場面もありますから、そういうことを教育すること自体は必要ではないでしょうか。もちろん、男性と女性はグラデーションと申しますか、こうでなくてはならないというステレオタイプな「男」と「女」を押し付けるのがいいとは思いませんし、第三の性は我慢して「男性」「女性」を名乗れと主張するものでもありません。そこは誤解なきよう。

 

お叱りを受けるようなことを申しておりますが、常に考えることは大切だと思うのです。「男らしく」「女らしく」はもう古い、そんなこと言ってるのはロートルだ、行って(逝って)よし!で終わっていいのでしょうか。男女以外の第三の性に理解を示す人は増えてきましたが、いまだにそんなのは性癖だ、くらいにしか思っておられない方もいるはずで、偏見や先入観をなくし、柔軟な思考をするためには、考え続けるしかないのだと思います。思考停止しないこと。

 

男性らしさ、女性らしさということで一番大事なのは、相手を思いやる気持ち。それは、同性に対しても異性に対しても同じでしょう。相手を思いやる。その気持ちがない「男らしさ」と「女らしさ」の押し付けが批判されるべきであって、男は男らしく、女は女らしく。これが否定されるべきでもないように思います。

 

ちなみに、仏像は中性的なたたずまいですね。時折仁王像のようなものはあるとしても。男だ女だというのも執着心、欲望でしかなく、結局は全てを取り去ったあらゆる平等こそが、仏様の願いでしょう。それは大前提。

 

それでもなお、この俗世間においては、男女があり、そのどちらにも属さない性がある。多様性は、大切ですよね。差別ではなく、いろんな違いがあることは、この世の彩りです。彩りの中で、異性、別の性に関心を抱く。

 

お浄土は、どんな世界なのでしょう。それは、お浄土に還ってからの楽しみとしましょう。

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