真面目・不真面目

超願寺

06-6631-8956

〒556-0016 大阪府大阪市浪速区元町1-12-3

lv

真面目・不真面目

ブログ

2019/11/25 真面目・不真面目

最近、こんな意見を目にしました(FB友達のご意見より全文引用)。

 

******

坊さんって、お寺に来る人や仏法を聞く人が少ないのは、坊さんやお寺の敷居が高くて近寄りがたいからではないかと思って、その敷居を下げようと「坊さんも普通の人間なんですよ」とばかりに、くだけた姿を見せたりみんなとお酒を飲んだりしてイメージを変えようとする。それがご縁になって仏縁を結ばれる人は確実にあるので、全然悪いことじゃないです。

 

でも、私、全国400カ寺くらいのお寺を回って話ししてきたからよく知っているんですが、大勢のお参りがあるのは、教えとか信仰に対して真摯なお坊さんとかお同行がいるお寺です。

 

くだけてもいいけど、お寺に来たい人は、別にくだけた坊さんと仲良くなりたいと思って来るわけじゃない。仏教を聞きたくてくるんですよ。そしてそういう人のためにお寺ってあるんじゃないかと思います。

 

あと、坊さんも普通のくだけた人間だってことは、世間の人はもうみんな知ってるので、いまさら特にアピールする必要性はないとも思います。くだけたアピールとは別の方法で仏法を伝える手段はいくらでもあるので、そちらの方で手を尽くした後にチャレンジするのでもいいんじゃないでしょうか。

******

 

引用にあたり、ご本人の了解を得ております。信頼のおける僧侶で、著名な布教使さんです(差し当たり匿名にしておきます)。仰ることはよくわかるのですが、2点ほど思うところがあり、補足というか反論を、自分のブログで書きたいので引用させてほしいとお願いしました(ここでは1点のみ。もう1点は別途書きます)。私への直接的なご批判ではないと思いますが、耳が痛い(目が痛い?)内容で、ちょうど私が「1日限りの坊主ワインバー」企画を投稿した直後で、タイミング的にも私への批判そのものではないかと感じましたので。

 

お寺に対して、彼と同じように思っておられる方も多いかと思い、お寺のブログで意見表明することにしました。

 

私自身、とにかく敷居を低くしたい。お酒も大好き。嘘は嫌いなので、「般若湯」なんて言い換えたりせず、お酒を堂々と飲みます。もちろん自主規制はしていますよ。私は娑婆では大学教授なんてのもしておりますので、そちら方面でもあまり羽目を外すとまずいですし。おかげさまで酒には強い体質のようです。

 

都心にあって、法事もし、法事以外のイベントもし、何かのきっかけでお寺に足を向けてもらえればと努力しておりますが、なかなか努力って報われるものではないですね。仏法を前面に押し出した企画をしてもなかなかお越しいただけない。じゃあ、少しくだけた内容で、ちょっとでもお寺に足を向けてほしい。向けてもらえば、寺の良さを感じてもらえるのではないか。そこで、仏事・法事とは別に、柔らか企画も色々講じております。

 

ところで、私の人となりを知っている一部の人にはわかってもらえると思いますが、かなりの清廉潔白な性格です。自分でも嫌になるくらい堅物。

 

でもその反面、”人間だもの”、食欲も性欲も、怠けたい気持ちも、あります。一皮むけば、私もただの人。清廉潔白という鎧は外していたいときもある。僧侶が普通の砕けた人間だってことは、知っている人は知っているかもしれないが、檀家さんには「とっつきにくい感じのお坊さんはしんどい、住職みたいに気さくな方だとありがたい」と言ってもらえます。気楽に気さくに。それが、当寺の一面です。

 

そんな鎧を外した中で、いろんな人が集まってきて、「道野さんって僧侶ですよね、こういうこと、どうお考えになりますか?」と聞かれるときは嬉しくなります。できる範囲で答えたい。

 

余談ですが、以前から「お寺はお西ですか、お東ですか」とよく聞かれますが、そのときは「浄土真宗には10派+αあるんですよ」と説明しますし、つい先日は「佛光寺は東本願寺の本山(別格本山?)ですか?」と聞かれたことがあって、どこまでいっても浄土真宗にはお西かお東しかないと思われているんだなとずっこけました。でも、それがきっかけで佛光寺と東本願寺は宗祖は同じでも、違うんですよ、と説明することができるわけで、とにかく、くだらないことでもいいから疑問に思ったことを「この人なら(何をバカなことを質問してるんだと見下さずに)質問に答えてくれそうだ」という感覚で質問してほしいのです。

 

決してくだけすぎず、でも堅物すぎず。

 

親鸞聖人のように非僧非俗は難しくても、半僧半俗でいいやというのが本心。非僧非俗を目指しつつ、まずは、俗世間に全身どっぷりまみれて、でも完全な俗ではなく、聖の部分も持っている。

 

人間ってそうではないですか。全てが善の人も全てが悪の人もいないです。全てが俗の人も、全てが聖の人も、おそらくいない。本当に正覚した人なんて、悠久の歴史の中で、ほんの一握り。

 

開けっぴろげすぎはいけないけれど、「隣のお坊さん」でいたい。在家の人と同じ、在家僧侶でいい。

 

でもね、それもまたなかなか上手くいかないんですけどね。清廉潔白な性格を「前面」に出しても、俗な部分を「全面」に出しても、今の言葉で言えばなかなか「バズる」ことはないですね。一人、また一人、少しでも私にというか仏法、真宗の教えに共感してくれる人を増やしていくしかない。地道に。

 

それはわかってます。

 

ちなみに、当寺の行事は、基本的には以下のようになっています。

法事:春法要(3月13日前後)、地蔵盆(8月22日)、報恩講(10月下旬から11月上旬の週末)

法事以外のイベント:ちゃんこの会(2月末)、落語会、ワイン会、ミニコンサート、終活講演会(全て不定期)

これ以外にも、まだやりたいことは多々あります。写経とか写仏の会、それに定例の法話会なども検討しています。法律講演会も可能です。

 

法事も大切にし、法話は必ずしています。上記の布教使さんにお願いしたこともありますし、自分でもします。私も、へたっぴかもしれませんが布教するんですよ。昨年は、本山の御正忌報恩講の通夜布教でもお話しさせていただきました。

 

少しでも仏教に触れる機会を持っていただくために、寺としての本筋と、横にそれながらも本筋に繋がる道と。昔のお寺は寺子屋であったり病院であったり、福祉施設であったり、娯楽施設であったりしたのです。寺が娯楽を与えることが、悪いこととは思いません。

 

寺へのご要望等、お寄せいただければ幸いです。決して敷居は高くないですから。真摯に仏法を求める方はもちろん、ちょっと仏像が好きで御本尊を見たいというくらいのご関心でもかまいません。寺で、仏教談義しませんか。気楽に。真面目に。

 

(付記)
 兼業しておりますので、なかなか寺にじっとしておりません。このHPなどで告知しているイベントごとのタイミングにお越しいただくか、予めご一報いただいてからお越しいただく方が確実です。よろしくお願いします。
(付記に対する補足)
 参拝客が少ない--といっても、これは見栄を張るつもりはないのですが報恩講の際などはそれなりにお越しいただいてます。以前より少なくなった、という程度のことです--のは、留守番がいないからじゃないの、というご意見もいただきます。先代はほぼおりますがすぐに対応できる体調ではなく、坊守も寺に慣れていないというか。
住職がなかなか寺にいないというのは、確かにマイナス要素かもしれません。
まあしかし、半僧半俗が私の道。俗世間でもそれなりの成果を出したい。定年まで、非僧非俗はもちろん専従僧侶もお預けです。

 

(補足)
 東南アジアでは僧侶が今でも敬われていて、バスなどでは僧侶に席を譲るそうです。それは、一般庶民ができない修行を自分たちの分までしっかりしてくれているからだと言います。そういう意味では、私のような生臭坊主は尊敬の対象ではないのかもしれません。日本の僧侶が一般的に尊敬されないのは、俗すぎるからだと思います。上記に引用させていただいた見解は、本当によくわかるのです。

でもね。私にはすごい修行はできません。むしろ、できないことの苦しさを分かち合う。御同行との関係性は、修行を重ねた偉いお坊さんではなくて、できなくてどうしようもない私としてしか作れません。少なくとも今のところは、半僧半俗が精一杯です。

TOP