歴史街道、京街道ウォーキング(第5回)

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歴史街道、京街道ウォーキング(第5回)

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2021/05/29 歴史街道、京街道ウォーキング(第5回)

梅雨の時期にもなり、蒸し蒸しとする中、意外と涼しい日となった某日、(第4回の終着地である)樟葉を出発して、京都本山を目指す第5回京街道ウォーキングの様子をお届けします。

 

曇天の中のくずはモールを出発。

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樟葉駅を出て比較的すぐに、旧京街道と書かれた碑を見つけました。時折、このように草に覆われていたりして気づかないこともあるのですが、、、

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枚方宿の東見附を出てからは、浄土宗のお寺が多くなりました。

道沿いではありませんでしたので写真は撮らなかったのですが、京街道ウォーキングマップに載っていた建長寺も浄土宗。そしてこの光明院も浄土宗。

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下の写真のように曹洞宗のお寺もありましたが、後ほどまた出てくるお寺も、たいていが浄土宗。

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とその前に、広い公園が広がっているなと見てみると、台場が。

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戊辰戦争の際に築かれたものらしく、これによって、京街道も一部経路が変わったそうです。

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樟葉の次の駅が橋本ですが、ここはすでに京都。やっと京都に入りました。この小さな道標は橋本渡しの碑。渡し船ですね。

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橋本駅のすぐ近くに、少し大きな碑が建っていました。

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ちなみに、今はかなり寂れた感じを醸し出していますが、往時は栄えた遊郭街であったとのこと。写真は撮りませんでしたが、結構古くからの旅館が立ち並んでいました。ちなみに渡し船の先は、淀川を越えた山﨑(天王山のふもと辺り)だったようです。

橋本駅改札の目の前にあるお寺も、浄土宗でした。

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少し行くと、八幡宮の常夜燈が。八幡宮に行くにはほんの少しだけ京街道を外れることになりますが、この辺りは石清水八幡宮のお膝元です(橋本駅の次の駅は石清水八幡宮駅)。今回は参拝することなく前に進みます。

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飛行機好きにはたまらない、二宮忠八の飛行器工作所跡の説明板。近くに飛行神社もあるようですが、石清水八幡宮同様、少しだけ京街道から足を伸ばすことになりますので、またの機会に。

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石清水八幡宮駅あたりで京街道はぐっと方向を変え、川を渡ります。江戸時代までは川を渡って越えるような形(渡し船?)だったようですが、明治期に木津川付け替え工事に伴い、御幸橋が架けられたとのこと。川を越えるよりは、橋を越えた方がいいということなのでしょうね。琵琶湖でいう「急がば回れ」と同じかな。

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木津川を越え、淀川(宇治川)を越える前に良さげな休憩場所。と思ったら、緊急事態宣言に伴い、長らく閉館中。早く収束してもらいたいものです。なお、ご存知かもしれませんが、ここでいう三川とは、木津川、宇治川、桂川で、これらが合流して淀川になります。

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梅雨の時期であり、よく雨が降った翌日ですので、川は増水気味。

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トンビがふわふわ飛んでいました。向こうに見えるのは名神、京滋バイパスなどなどの大山崎インターチェンジ。自然豊かな場所に、人工的なものとのアンバランス。というか、自然と人工物の調和とも言えそうですが。

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この橋から結構歩いた先の圓通寺と(おそらく)西岸寺も、やはり浄土宗。素人の考えと言われるかもしれませんが、大阪は真宗が古くから盛んで、かつ、枚方宿は繁華な場所でいわば俗の世界。そういうところに在家仏教である真宗は多く、少し静かな場所に浄土宗や禅宗が多いのであろうと思います。

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ただ、これらにほど近い文相寺は、真宗のお寺でした。京都洛中に近づくにつれて、また様子は変わってくるだろうと思います。

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淀に着きました。私は博打はしませんが(多分博才はないと思います)、京都競馬場で大儲けできれば、ここからはタクシーでゴール?!などと俗なことを思いつつ。まあしかし、淀駅は大きな駅ですが、競馬が開催されていないときは、全然人がいないようです。競馬場のための駅ということなんでしょうね。

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淀駅から淀川方面に向かいますと、このような碑と案内板。朝鮮通信使が上陸した船着場の跡とのことです。雁の列に似ていることから雁木と呼ばれたようです。

ところでいつの間にやら、伏見区に入っていたようです。しかも、京都市内では幹線道路の一つ、千本通の南の始点がこの地だとの話も、Web上で見かけました(真偽は確かめておりません)。ちなみに少し歩けば淀城跡公園もありますが、こちらもまたの機会に取っておきます。

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樟葉、橋本の地から、この淀にかけては、戊辰戦争の記憶があちこちにあります。樟葉の台場もそうでしたし、淀小橋の旧趾でも、案内板によると、幕府軍と官軍の争いで、幕府軍は淀城に入ることができず、川にかかっていたこの橋を落として、橋本まで撤退したとあります。幕府軍は大阪城が拠点ですから、大阪方面へ撤退ということのようです。

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しばらく歩くと、戊辰戦争戦没者の碑がありました。しっかり解読できなかったのですが、隣にある石碑(写真なし)には、戊辰戦争ほど悲しいものはない、同じ日本民族同士で、どちらも自分に正義があると言って戦って大勢亡くなった、みたいな文が綴られていました。内戦の少ない日本国で、確かに戊辰戦争は深い傷跡を残したのでしょう(諸外国・日本民族以外と戦うのはかまわないというつもりはありませんので、念のため)。

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ところでここから中書島までは、自動車の抜け道のような道が続き、しかも歩道と車道の区別がないところもあり、結構大変でした。少し京街道を外れて中書島を目指しましたが、この間は工場地帯で少しもの寂しい道のりでした。本来の京街道を行けば通るはずだった伏見港公園には、できれば次回行きたいと思っています。

 

やっと中書島駅に着きました。駅と駅の間は30分程度の間隔だったのに、淀駅と中書島駅は1時間前後かかりました(足が痛くなってきたのもありますが)。駅の前には、豊臣秀吉の弁財天が祀られている長建寺のほか、寺田屋や大黒寺の道標が。京都市内が近づいて、より歴史の香りがぷんぷんと。

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何よりも、中書島(伏見港)は淀川を上り下りする三十石船の港。ここから洛中に向かうには、陸路か高瀬川の小舟に乗り換える必要があったと思います。ということで、今回はここまでとします。次回はここから、大津へ向かう京街道を外れて本山を目指します。

 

実はいつもペースメーカー兼記録係をしてくれている友人が今回急用で来れませんでした。そのため1人でハイペースで歩いていたらあまりに疲れましたので、広い風呂に入りたいと思い日帰り入浴できるところを探したら、なんと京街道の始点である高麗橋近くのホテルが日帰り入浴できるとの情報。そこで汗を流してから帰宅しました。まさに、「初心に返れ」となった5回目の歴史散歩でした。

 

 

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