人生は、よく登山に例えられますが。

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人生は、よく登山に例えられますが。

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2021/10/15 人生は、よく登山に例えられますが。

人生を登山に例えること、よくありますね。五木寛之さんの『下山の思想』のような、登って下るまでを言うこともありますし、麓から山頂までを言うこともあります。

 

まだ、いわゆる平均寿命からすると若いですが、それでも生まれてこの方半世紀を過ぎ、少なくとも人生の曲がり角と言われる年齢は過ぎた人間として思うことは、確かに、同じ人間のはずだけれど、やはり年齢を重ねてくると同じ風景でも違って見えると言うことです。麓で見た景色と、中腹で見た景色と、8合目で見た景色は違いますよね。まだ、山頂には達していないので、そこから見える風景を楽しみに人生を歩んでいきたいです。

 

若い年代と接する機会の多い職についているからかさほどジェネレーションギャップは感じないものの、それでも、ごく些細なことですが、考え方の違いは少なくありません。例えばテレビ世代の私にすれば、これだけYouTubeが流行る理由がわからない。

 

若い世代は新聞も本も読まない。ニュース記事を紹介せよと課題を課すと、大抵ネットニュースから選びます。ネットニュースも新聞記事からのものもありますからかまわないのですが、私からすれば、毎日習慣のようにして読む新聞には、自分が思いもよらなかったニュースがあって、それを読む面白さがあるのですが、ネットニュースは自分の関心の高いもの(少なくともAIがそう判断したもの)が中心になります。

 

寿命があるのは幸せなことだとつくづく思います。もちろん、「死にとうない」とも思いますし、そういう新たな生活スタイルや価値観を受け入れる器の広さ柔軟さも必要である反面、人生80年か100年かわかりませんが、それくらいが自分の価値観を保てるギリギリの期間なのかもしれません。

 

ちなみに、真宗教団連合作成の法語ポスターの今月の法語には、

 

老いが、病が、死が 私の生を 問いかけてくる

 

とあります(クリックすると真宗教団連合のサイトへ)。「登山」の間には楽しいことだけでなく、体力の消耗や怪我、崖から落ちる(死)不安、様々な問題が発生します。だからこそ、懸命に登らねばと気合も入る。生きるということは、終わりがあるからこそ、また平穏無事とはいかないからこそ、美しいのです。コロナ禍は、おそらく誰にとっても、「人生とは平穏無事には済まないものだ」と思わされる出来事ですね。どう対処するか、各人の生き様が問われてもいるわけです。

 

80までは生きていられるだろうとそんな感覚で生きている私ですが、実は明日をもしれない身です。いつ崖から落ちるかわからない細い尾根を歩いているのが、紛れもない、私です。

 

(補足)

少し蛇足の類かもしれませんが、面白い記事がありましたので、ご紹介します。

60代の人生について、若い人が誤解していることは何ですか?

決して、加齢が不幸なわけではない。そう感じます。

 

#生老病死

#真宗教団連合

#真宗

#浄土真宗

 

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