人付き合いの難しさ

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人付き合いの難しさ

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2018/09/21 人付き合いの難しさ

人付き合いって、難しいですね。

画像もない文章で、少し長くなりますが、これも、「面倒な」人付き合いの一環とお考えいただき、どうぞ最後までお付き合いください。

 

先日、こんなことがありました。同窓会で会う程度で、前回会ったのはもう2年以上前であろう同窓生から、共通の友人を介して私の電話番号を知りたがっているとのこと。彼から相談があるようだというので、役に立てるならと、連絡先を教えました。すると、即かかってきて、法律相談のような内容。私は弁護士ではありませんが、法律学を教える立場なので、そのことを知っていて頼って連絡してきたのでしょう。

 

私は、相談があると言われれば断ったことはありませんが、ただ若干の違和感は感じました。滅多に会うことはなく単に同窓生だというだけの人間に、いつもは連絡などしないのに、必要に迫られて連絡する。こちらとしては困ったときはお互い様ですから応じますが、仕事の関係でもなく付き合いもないのに突然連絡するよりも、本来は、もっと付き合いを濃くしている間柄で相談するべきではないか、と。プロの法律家(弁護士、司法書士等)なら、プロであるからこそ、原則的には、有償なわけです。私が無償で相談に応じるものだと、友人がはなから思っていたのであれば、私がプロではないからとなめているのか、と感じてもおかしくはないです(おそらく彼も突然のことで誰かに頼りたくて私に連絡したのであって、そんなことを考えている余裕はないとは思います)。

 

少し話は変わりますが、先日、利害関係をしっかり考えて、自分にとって不要な人との関係をドライに断ち切れる人の方が収入はいいとの記事を読みました。そういう面はあるのだろうと思います。

 

私は友人と思っていた同窓生に、FBの友達を解除されたことがあります。また、私とは多忙を理由に会う機会がないのに、他の同窓生と楽しく会食している画像をFBにアップしている友人(と私が思っているだけ?)もいます。明らかに、私より収入はいい同窓生です。

 

人間には許容量がありますから、仕方ないのかもしれません。かく言う私も、全ての知人と親しく付き合うことは難しい。来る者は拒まず、去る者は追わずが基本姿勢ですので、求められたら応じますが、求められてもいない人と仲良く付き合うのは、誰であっても難しいでしょう。

 

 人付き合いから来る苦は、お釈迦様の時代からありました。だから、愛別離苦(愛する人との別れから来る苦)、怨憎会苦(憎い人に出会ってしまったがゆえの苦)という苦を、お釈迦様も8つの苦(*1)の中に示しておられます。求不得苦(欲するものが手に入らない苦)や五蘊盛苦(しがらみに絡みとられて身動き取れない苦)も、人付き合いとの関係はあると思います。

 

あるとき、大手証券会社の子会社の社長とゴルフをご一緒する機会があり、そのとき、その社長が、「この歳になると、嫌いな人苦手な人と付き合う必要はないんだよ、好きな人と楽しく過ごすのが一番だ」とおっしゃったことがあります。私はまだ30代半ばの青二歳でしたから、まあそんなものかなという感覚しかありませんでした。しかし、そのような感覚は、功成り名を遂げた人には多かれ少なかれあるのだろうと、思います。仕事ではしんどい思いをしてこられたでしょうから、プライベートくらいは、ということなのかも知れません。

 

もう一つだけ、具体例を挙げておきますが、最近はSNSを介したいざこざもあるようです。ヘッドハンティングをされた後輩のことを評価していた先輩が、彼が見ることのできないはずのSNSにヘッドハンティングをした会社に対する批判めいたことを書きました。2年連続で同じ会社からヘッドハンティングがあったので、そのことを仁義にもとるのではないかと批判したわけです。ところが、その後輩が突然怒ってきた。誰に聞いたのか、そういった批判を書いていることを聞いて、「やめてくれ」と。君のことを批判しているわけではない、といっても聞く耳持たず、同じ業界なのでたまに顔を合わせても、知らん顔をされるそうです。評価しているからこその愚痴でしたが、誤解されたままで、以前は「先輩には感謝している」と言っていた後輩が無視を決め込むほどになってしまい、先輩はがっかりされていました。そのうち誤解が解けるといいのですが。

 

もし、人付き合いに悩んでいる方がいらっしゃれば、端的に申します。どうせ人間は一人です。一人で生まれ、一人で生きていく。そして、一人で死ぬ。ですので、他人に期待しすぎてはいけない。とりわけ距離が近い親族、身内、親友と思っている人などには期待してしまいますが、期待するほど、痛い目にあいます。それはまた、「嫌われるんじゃないだろうか」と萎縮する必要もないということでもあります。わざわざ他人を痛めつける必要はありませんが、分かり合える他人もいれば、分かり合えない他人もいると心得ておけば、嫌われても、信念を曲げないという判断も可能になります。他人に流されないために。(*2)

 

一方で、こうも言えます。一人で決して生きていくことはできません。今の時代、一人で生きていけているような錯覚を覚えますが、では、自給自足の生活をすることができるのかと言われれば、ノーとしか言えないでしょう。野菜くらいは家庭農園で作れても、肉は無理です。社会の中で生きていっているからこそ、一人でも生きていける。コンビニやスーパーなど流通業者、それに生産者がいるから、一人でも何とかなるのです。それに、一人で生きて一人で死ぬといっても、死ぬ際には遺族に頼らざるを得ません。天涯孤独であっても、葬儀屋さんに頼るしかないのです。

 

頼りすぎず期待しすぎず、かといって感謝の気持ちは忘れず。ほどほどの距離感を保つことが、人間関係の極意です。それが結構難しいのですが。

 

「必要な時の友達が、本当の友達(A friend in need is a friend indeed)」という諺があります。明石家さんまと島田紳助って、お互い親友(戦友)と思っているらしいのですが、最近は互いに連絡は取り合っていないそうです。それでもなお親友と言えるのが、本当の親友かもしれませんね。

 

とはいえ、先に述べた、そんなに付き合いがないのに、自分の都合がいいときだけ連絡してくるのは、相手からすれば「友よ!」ということなのかもしれませんが、こちらからすると「都合のいいときだけ、連絡してくるんだなあ…」という気にもなります。器が小さいと感じられるかもしれませんが、でも、私も一介の凡夫です。

 

昨今自然災害が頻発していますが、地域の方々とせめて挨拶くらい交わす仲になっているのと、「隣の人は何する人ぞ」と無関心でいるのとでは、やはり前者の方がいいのではないでしょうか。わかりませんけれどね。ドライな時代においては、平常は互いに無関心な方がいざという時に助け合いの精神を発揮することができるかもしれませんが。

 

人間社会は複雑です。複雑な中で生きていく。大変なことです。大変なことを私たちはしているのです。互いに無関心ではなくて、その大変なことをこなしてこそ、私たちは人間なのではないでしょうか。煩悩に悩まされる存在ではあるけれども、だからこそ、人間なんだという。悩まされることがないなら、それはこの世を生きていないとも言えそうです。悩みのない世界がお浄土であるとするなら、この世は悩みがあるからこそ、人間臭い。

 

資本主義の世界に生きている私たちは、ドライに、利害関係を考えて、必要不要を考えて人付き合いもすればよいでしょう。でも、利害関係のない関係もまた大事で、例えば親子は利害関係はないはず。ところが、親は親で「お前を育ててやったのに、私の老後の面倒を見ないのか」と言い、子供は子供で「昔は子沢山でみんなで支えていたんだ、少子化で一人っ子で、二人の親を面倒見ろと言われたって、無理だろ」となります。

 

先立つものがなければ人付き合いもできない。そんな考え方もありますが、先立つものよりも大事なのは人付き合いとも思います。利害関係を優先して人付き合いを考えるのもありですが、人間同士、袖摺り合うも他生の縁、目先の利害関係がなくても、どこかで関係があるかもしれない。利害関係を度外視して、人付き合いを優先するのも、人の道として大事ではないでしょうか。慈善寄付なんて、まさしくそうでしょう。心のどこかに、売名行為の気持ちがあるかもしれないが、慈善寄付はそれだけで立派な行為だと思います。

 

こじれる人間関係もあるけれど、面倒だからとドライに切り捨てているばかりでは、人間としての成長の機会を失っているのかもしれません。最近、大学生にコミュニケーション能力の乏しいのが増えている印象ですし、コミュニケーション能力を高めたいと思う学生も多いです。

しかし、団塊の世代から現在の40、50代は、コミュニケーション能力向上なんて言わなくても、十分な能力があると思います。それは、否応なしに他人との関係に楽しんだり悩んだりしてきたからではないでしょうか。

ゼミの懇親会を開いても参加しない、学生に懇親会をしませんかといっても、義務だと言わなければ、結構ですと返される。大学時代までは年齢の近い人間同士の付き合いしかほとんどないわけですが、社会に出た途端、年上の人とも付き合わなければいけません。懇親会で、年上の教員と話す機会というのは、いい機会だと思うのですが、そうは思わないようです。もったいない気がします。出席を義務にしてもいいのですが、そうするとパワハラになりかねず、とかくこの世の人間関係は難しいものです。

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました。悩みのタネは人間関係。でも、人間関係から楽しみも生まれる。恋愛なんて、まさしくそうですよね。楽しくもあり辛くもある。多くの方が経験されているのではないでしょうか。

 

(*1)8つの苦:お釈迦様が示された苦は、生・老・病・死の四苦が有名ですが、本文にありますように、この他に4つあり、全部で八苦です。四苦八苦と言いますが、12苦あるのではありません。

 

(*2)最近、下重暁子さんの著書にはまってます。『夫婦という他人』『極上の孤独』など、人間は基本的に一人なんだ、他人を頼っても仕方ないと思わせてくれる内容です。

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