06-6631-8956
〒556-0016 大阪府大阪市浪速区元町1-12-3
人はパンのみに生くるに非ず?
タイトルの言葉は、イエス・キリストの言葉として有名ですね。働くだけでなく、余暇も大事。英語の諺で、
All work and no play makes Jack a dull boy.
というのがあります。勉強(仕事)ばかりして遊ばないと、バカな子になってしまうという意味です(Jackは固有名詞ですが日本語の太郎とか花子と同じで一般的にジャックくんは、ということです)。
仏教も、勤勉は肯定も否定もしません。むしろ、苦のない人生を歩みなさい、それに尽きます。働くなというわけではないが、働いた結果この世がよくなっているかというと、文明は栄えても文化は滅びているようにも思えます。いくら立派な建築物ができようと文明の利器が発明されようと、それが自然環境に負荷を与えていることに対する申し訳ないという気持ち、そして自然環境への感謝の気持ちがないなら、働かなくていい。苦しみばかり深まるだけだから。
オリンピックを今開催することを肯定する方々の中には、人はパンのみに生きるわけではないからオリンピックは必要なんだと主張されることがあります。
私の立場を申しますと、繰り返しになりますがオリンピック自体を否定したことはありません。日本に招致する必要はないと思っておりますが(例えばギリシャで固定もしくは5大陸のどこか決まった都市の持ち回りでもいいのではないでしょうか)、招致した以上は、日本人一丸となって外国の方々をお迎えし、また日本人選手を応援し、楽しい平和の祭典という名のお祭りをすればよい。それこそリオのカーニバルではありませんが、バカ騒ぎしていい(犯罪はない程度に、ほどほどに)。外国から観光客も大勢来ていただきたかった。
考えてください。戦時中、オリンピックは中止されました。今はコロナであって戦時中ではないとの意見もありますが(国同士が争っているわけではないという意味ではそのとおりですが)、いつB-29が来るかと不安になっているのと、新型コロナに感染してえらいことになるのではないかと不安になっているのと、国民感情的に言えば、大きな差はありません。そんな中で、「人はパンのみに生きるにあらず、さあ、オリンピックで楽しめ」というのはなんと傲慢なことでしょう。しかも、日本人が観戦できないという、日本開催の無意味さ。
その反面、また緊急事態宣言を発令する準備中とか。宣言下では、時短営業はもちろんお酒の提供も禁止。それはおかしくはありませんか?「人はパンのみ」に生きていません。お酒も飲むのです。オリンピックで楽しめ、お酒は飲むなは、人の嗜好を国がコントロールできるという思い上がりではないでしょうか。諸外国でロックダウンがなされましたが、それも感染抑止に効いていないような気はしますが、ロックダウン下ではおそらくオリンピックもできません。日本は要請レベルだから、こんな状況なのにオリンピックができているのです。
本当は、平和の祭典は平和な時代に行われるべきで、平和の祭典をゴリ押ししても平和はやってきません。
僧侶は政治に関与すべきではなく、私は以前からそのつもりでおりますが、政治が日常生活に悪影響を及ぼす事態がここしばらく続いている中で、日常生活を守るためにどうすればよいのか、政治のことにも一定程度首を突っ込まざるを得ないなあという実感を持ち、時折強く政治への批判もしております。私たちは無力であり、政治家の皆さんに頑張ってもらうしかないのです。ですので、誹謗中傷ではなく、正しく批判しているつもりです。
24/04/05
23/12/23
一覧を見る
TOP
タイトルの言葉は、イエス・キリストの言葉として有名ですね。働くだけでなく、余暇も大事。英語の諺で、
All work and no play makes Jack a dull boy.
というのがあります。勉強(仕事)ばかりして遊ばないと、バカな子になってしまうという意味です(Jackは固有名詞ですが日本語の太郎とか花子と同じで一般的にジャックくんは、ということです)。
仏教も、勤勉は肯定も否定もしません。むしろ、苦のない人生を歩みなさい、それに尽きます。働くなというわけではないが、働いた結果この世がよくなっているかというと、文明は栄えても文化は滅びているようにも思えます。いくら立派な建築物ができようと文明の利器が発明されようと、それが自然環境に負荷を与えていることに対する申し訳ないという気持ち、そして自然環境への感謝の気持ちがないなら、働かなくていい。苦しみばかり深まるだけだから。
オリンピックを今開催することを肯定する方々の中には、人はパンのみに生きるわけではないからオリンピックは必要なんだと主張されることがあります。
私の立場を申しますと、繰り返しになりますがオリンピック自体を否定したことはありません。日本に招致する必要はないと思っておりますが(例えばギリシャで固定もしくは5大陸のどこか決まった都市の持ち回りでもいいのではないでしょうか)、招致した以上は、日本人一丸となって外国の方々をお迎えし、また日本人選手を応援し、楽しい平和の祭典という名のお祭りをすればよい。それこそリオのカーニバルではありませんが、バカ騒ぎしていい(犯罪はない程度に、ほどほどに)。外国から観光客も大勢来ていただきたかった。
考えてください。戦時中、オリンピックは中止されました。今はコロナであって戦時中ではないとの意見もありますが(国同士が争っているわけではないという意味ではそのとおりですが)、いつB-29が来るかと不安になっているのと、新型コロナに感染してえらいことになるのではないかと不安になっているのと、国民感情的に言えば、大きな差はありません。そんな中で、「人はパンのみに生きるにあらず、さあ、オリンピックで楽しめ」というのはなんと傲慢なことでしょう。しかも、日本人が観戦できないという、日本開催の無意味さ。
その反面、また緊急事態宣言を発令する準備中とか。宣言下では、時短営業はもちろんお酒の提供も禁止。それはおかしくはありませんか?「人はパンのみ」に生きていません。お酒も飲むのです。オリンピックで楽しめ、お酒は飲むなは、人の嗜好を国がコントロールできるという思い上がりではないでしょうか。諸外国でロックダウンがなされましたが、それも感染抑止に効いていないような気はしますが、ロックダウン下ではおそらくオリンピックもできません。日本は要請レベルだから、こんな状況なのにオリンピックができているのです。
本当は、平和の祭典は平和な時代に行われるべきで、平和の祭典をゴリ押ししても平和はやってきません。
僧侶は政治に関与すべきではなく、私は以前からそのつもりでおりますが、政治が日常生活に悪影響を及ぼす事態がここしばらく続いている中で、日常生活を守るためにどうすればよいのか、政治のことにも一定程度首を突っ込まざるを得ないなあという実感を持ち、時折強く政治への批判もしております。私たちは無力であり、政治家の皆さんに頑張ってもらうしかないのです。ですので、誹謗中傷ではなく、正しく批判しているつもりです。