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2022/12/30 お正月に向けて

年の瀬にあたり、佛華を正月用にお供えしました。よく見ると蝋燭を赤に変える前に撮影しておりましたが、それもご愛嬌ということで。

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来年はどんな年になっていますでしょうか。コロナは治まっていてほしいですね。戦争は、新たな戦争のきな臭さもありつつ、終息しているといいのですが。何はともあれ、皆様良いお年をお迎えください。

 

(補足)

南天を正月によく飾るのは、「難を転じる(福となす)」という言葉遊びと申しますか、おまじないの類ではありますが、元来真宗ではあまり迷信的なこと、現世利益的な祈願にこだわることを戒めます。

 

個人的な見解ですが、仏教伝来前から儀式としての神道や祖先崇拝その他、様々な宗教的風習が日本にあり、それらを破壊して仏教が登場したわけではありません。八百万の神々を否定することなく、仏教はそれらとところどころ融合しながら進展してきました。そこが、キリスト教こそ先進的な宗教だ、原始宗教は野蛮だとそれらを駆逐しながら広がったキリスト教とは異なるところです(キリスト教を批判しているわけではなく、教えとして先進的な部分は確かにありますし、真宗とプロテスタントはよく対比されます)。

 

本来、神道と仏教が神仏混淆であった江戸以前の方が自然だったのではないかと感じています。明治に無理やり「離縁」されたことが、両者にとって不運であったと。現世利益的な部分の多い神道(お守りなどは寺より神社の方が有名ですね)と、生・老・病・死を主として苦悩からどのように解き放たれるのかという人生哲学的な仏教と。この世で苦悩を取り除きたいと思うのが煩悩でできている衆生にとって当たり前のことです。親鸞聖人の和讃にも「現世利益和讃」があります。もちろんお金持ちになれるとか不老長寿だなんていう利益とは異なりますが、この世で苦悩の元は取り除きたい。(苦のない世界に生まれ変われる)死ぬまで待てない。

 

先日、親鸞聖人の関東の旧跡を見学する機会を得ました。修験道も盛んな関東の地で、稲田神社のすぐ近くに草庵を建てて神社の所有する経典などをもとに教行信証を執筆されたという歴史的事実を目にして、完全に他の宗教を否定してまで浄土教が「浄土の真宗である」と宣言されたとは思えず、風習は風習として敬意を表しつつ、ただ、こういう教えが優れているとは思わないかと、懇切丁寧に浄土教を布教されたのではないかと感じざるを得ませんでした。

 

私も、仏法の素晴らしさを、他を否定することなく、でも他との異同は正確に説くことができればと、そんな思いを強くした年末でした。

 

ちなみに先代住職(私の父)は、ふくろうの置物を全国各地で買い求めていました。「不苦労」の語呂合わせでふくろうを集める方は多いそうです。父は苦労の多い人生でしたが、気が休まるなら、そういうのもまた一興でしょう。

 

#佛華#仏花#供花#浄土真宗#真宗佛光寺派#現世利益

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