反出生主義とは

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反出生主義とは

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2024/03/24 反出生主義とは

ここ数回、森岡正博氏のコラムに刺激されての文章をアップしておりますが、今回もまた、同氏が日経新聞夕刊で連載中のコラムに刺激を受けて、考えてみた内容です。反出生主義について、2月15日付夕刊から数回に渡り書かれています。

 

まず、反出生主義(者)とは何かですが、森岡氏の言をお借りすれば、

 

この世に人間が生まれてくるのは、どんな場合であっても必ず悪いと答える人たちがいる。このような思想を「反出生主義」と呼ぶ。彼らによれば、いま生きている人間は、本当は生まれてこないのがいちばん良かったのである。(2月15日付夕刊「反出生主義」(明日への話題)の一部抜粋引用)

 

お釈迦さまは、歴史に名を残すだけあってすごい方だなと心から尊敬するのですが、お釈迦さまも、4つの苦の一つに、生まれることを挙げておられます。すなわち「生・老・病・死」を四苦としてお示しになったことは、皆さんご存知かと思います。この「生」は、”生きる”ことではなく、”(この世に)生まれる”ことです。老いたり病気にかかったりはまさに生きることですから、それとは別の意味なわけです。

 

確かに、生まれなければこんなに苦しい目に遭うこともなかったと、私も一度ならず数えきれないくらい思いました。皆さんもそういうお気持ちになられたことはあるのではないでしょうか。インドでは子が親を、生まれたくなかったのに勝手に産んだとして提訴したという話もあります(結果は知りませんが)。

 

ただ一方で、この世に生まれてきたことをなかったことにすることはできません。ある女性タレントが、「子供から産んでくれと頼んだわけでもないと言われたが、どう言い返せばいいか」という質問に対して、「でも、もう出てきたんだからしょうがなくない?戻れる?」と、「産んだ以上は幸せにしなきゃと反省しつつ」言い返してみたらどうかと回答したというネットニュースがありました。

 

お釈迦さまが、四苦(上記に加えてさらに4つの苦を示されているので、四苦八苦とも言いますが、残りの4つはまた別の機会に)とされるのは、一説には「苦」というのはどうしようもないことをどうにかしようともがくから苦しいのだという意味だと捉えます。

 

もう一度、森岡氏のコラムから引用してみます。

 

私個人は反出生主義の哲学には批判的であるのだが、しかし私の心の中にも反出生主義の考え方に強く共感する部分がある。どうして私はこんな苦しみに満ちた世界へと生まれてこなければならなかったのか、どうして私たちは次の世代を産み続けないといけないのか。それを考えると、そもそも人類は最初からいっさい生まれてこないのがいちばん良かったはずだという思想に導かれていきそうになる。(3月21日付夕刊「反出生主義への共感」(明日への話題)の一部抜粋引用)

 

全然異なる話になりますが、先進国では離婚する夫婦の増加が目立ち、日本も増加の一途をたどっているようです。これは、各夫婦間ではもちろん何らかの原因があるからでしょうが、一般的に増加する原因は何でしょうか。一般的には現代人は我慢することが苦手になったとか、多様性の中で他人である夫婦間で価値観のずれが顕著になったとか、いろいろ言われていますが、あくまで私見ですけれど、他人である夫婦が、お互いにお互いを信頼できなくなった、お互いにいいところも悪いところもあるけれど、全てを受け入れたり、いいところだけ見るという発想が、今の時代は難しくなったのではないかという気がしています。

 

すなわち、夫婦間でも、相手にこんな嫌な面はあるが、こんないい面もある。いい面だけで自分は十分だ、悪い面も受け止める。そういう感情がなければ、破綻するのは目に見えています。どんなにいい人でも悪い面はある。完璧な人間なんていません。(余談ですが、私は離婚を否定はしません。合わない夫婦というものはありますから、そこで我慢してストレスを感じるよりは、別れる選択肢もありです。)

 

人生も、いいこと悪いことどちらもあるはずです。禍福は糾える縄の如し。また好事魔多しとも言います。いいことばかり続かないし、悪いことも続かないはず。反出生主義は、離婚の増加と同様、悪いことばかりに気が取られてしまっているのではないかと感じます。

 

私たちの人生は苦しいことばかり。ではなぜ苦しいのかというと、いろんな煩悩、執着に惑わされているからです。死ぬのは怖いと執着すれば、苦しくて苦しくて仕方ない。

 

しかし、それが普通の状態だと気づくことができれば、あとは楽しいことしかないのです。絶望は希望に変わります。

 

暗い未来しかなければ、次世代を産み育てることには躊躇することもあるかもしれません。だから、産まないほうがいいし、生まれてこないほうがいい。ところが、産まなければ、生まれなければわからない幸せも多々あります。

 

禍福は糾える縄の如し。苦がなければ幸せもわかりません。幸せがあるからこそ、苦も感じる。苦は少ないに越したことはありませんが、苦楽は表裏一体。病気になって人の優しさに気づくこともあるのです。

 

長々と、長文失礼いたしました。最後までお読みいただき、ありがとうございます。

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